立行司
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立行司(たてぎょうじ)は大相撲行司における最高位の階級で、かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため、行司の横綱に相当する。
解説

江戸相撲の行司家として最後まで残った木村家式守家の当主が代々木村庄之助式守伊之助を名乗っており、この2名跡の襲名者が立行司に遇されている。1927年大坂相撲が合併した際、大坂相撲の立行司木村玉之助が新たに加わり3名になったが(もう1人の大坂立行司木村清之助は除外された) 、1951年に玉之助がこの時導入された副立行司に格下げとなり、2名跡体制に戻った(副立行司制は1960年1月の行司停年制施行に伴い廃止され、玉之助も襲名されていない)。

慣例上庄之助が首席、伊之助が次席とされるが、例えば1877年から1880年までは6代伊之助が首席、14代庄之助が次席であった。1898年から1905年までは16代庄之助が首席、木村瀬平が次席であるなど明治後期までは定義が不明確であった。逆に、伊之助襲名の時点では第三席だった者も存在する。1910年に庄之助が首席、伊之助が次席であると明文化された。また、従来行司は改姓をすることが出来なかったため庄之助、伊之助はそれぞれ三役格から直接昇格していたが、1911年から改姓が解禁され、三役格から伊之助に、次いで庄之助に昇格するようになった[1]。その後も伊之助を経ずに庄之助を襲名する者は何人か出たが、上記の行司停年制の導入後は完全に伊之助襲名が庄之助襲名の必要条件として定着した。

本場所の本割では、木村庄之助は結びの一番のみ、式守伊之助はその前の二番を裁く。優勝決定戦においては、幕内優勝決定戦で横綱・大関が登場している場合、原則として立行司が担当する。現在の規則では、木村庄之助と式守伊之助が共に出場している場合、原則として庄之助が土俵に上がって伊之助が控に入り、取組が多く交代する場合は伊之助も土俵に上がることになる。過去には庄之助が裁きを譲りたいとして、また「庄之助は1番限り」として、現在の原則とは逆に伊之助が先に土俵に上がっていたこともあった。立行司が休場や番付上不在などの理由により1人または0人の場合は、三役格行司が欠員分を代行する。また土俵祭の祭主も務める。

立行司名として用いられる名跡である木村庄之助と式守伊之助は、かつては年寄名跡でもあったが、1958年(昭和33年)限りで年寄名跡としては廃止された。ただし、立行司はかつての名残りで「親方」の語の範疇に含まれる。また相撲協会の公益法人化以前は、年寄横綱大関同様、評議員として役員選挙の選挙権をもち (被選挙権はない)、評議員会に出席することができた。

江戸時代には行司は全員が帯刀していたが、廃刀令により帯刀しなくなった。のちに立行司のみ帯刀が復活したが、これは差違いをした場合に切腹する覚悟を示すものといわれている。無論、実際に切腹するわけではないものの、本場所で差違いをした場合は進退伺を出すのが慣例であったが、26代庄之助から口頭でお詫びを伝えるようになった。

1940年の20代庄之助を最後に現役中に亡くなった立行司はいない。また、定年制導入後に定年を待たずに退職した立行司は25代庄之助40代伊之助の2名がいる(前者は軍配差し違えの責任を取る形で退職、後者は不祥事により退職)。

庄之助は総紫、伊之助ならびに玉之助を含む副立行司は紫白の房・菊綴を使用し[注釈 1]短刀印籠足袋草履を着用する[2]

江戸時代から庄之助または伊之助の片方が空位になる場合や、立行司が休場などにより土俵に上がれずに三役格行司が結びを裁くことが時折発生していたが、双方が空位になることは長らく発生しなかった。しかし、1993年に7月場所後の27代伊之助に続き、11月場所後に28代庄之助が停年退職し、1994年1月と3月の2場所は立行司への昇格がなく、三役格行司3名が交替で結びを裁いた。

なお、1992年5月場所以降、番付に立行司のみ代数を合わせて記載されるようになった。2011年1月場所以降、場内アナウンスでも行司紹介のうち、立行司のみ代数を合わせて紹介されるようになった。

2015年11月場所7日目、度重なる差違えにより40代式守伊之助が翌8日目より3日間の出場停止処分を受けた。37代木村庄之助が3月場所限りで定年となって以降、木村庄之助が空位となる状態が続いていた為、この出場停止により21年振りに立行司が不在となった。

さらに2017年5月場所、40代式守伊之助の喉の違和感が悪化し、6日目の取組では本来の発声に程遠い状況にまでなった。診察の結果、咽頭炎により安静と発声を控えるのが望ましいとの診断書を提出し、40代式守伊之助は同日より休場した[注釈 2]。更に、前述の木村庄之助が空位となる状態は続いていたため、2015年11月場所10日目以来、約2年ぶりの立行司不在となった。

さらに2018年1月、同じ40代式守伊之助がセクハラ問題を起こして謹慎処分(同年1月場所より3場所出場停止)となり、再び立行司が不在となり、40代式守伊之助は処分明けの5月場所後に辞職した。これにより同年11月場所まで(出場者としては1月場所から、番付上では7月場所から)立行司不在となったが、9月27日の理事会で11代式守勘太夫が12月25日付で立行司に昇格し、41代式守伊之助を襲名することが決定した[4]

立行司は三段目格以下の行司を付け人として2人従えている。立行司に昇進すると、名誉賞として50万円が授与される。
立行司の一覧・変遷

個人の業績などについては各名跡および各人の記事を参照のこと。

場所木村庄之助式守伊之助木村玉之助備考
1757.106代式守家創設前東西合併前江戸相撲の現存する最古の番付。
1767.3初代
1771.37代
1793.102代
1800.48代
1820.33代
1824.109代
1831.2空位
1834.104代
1835.1空位
1836.210代
1837.10空位
1839.311代5代
1845.212代
1850.3空位
1853.1113代6代
1877.114代伊之助が首席として土俵に上がる。
1881.1空位
1883.17代
1884.1空位
1884.58代伊之助は第三席。
1885.515代
1898.116代番付上は伊之助が首席。
1898.59代
1911.510代
1912.517代11代10代伊之助→17代庄之助。伊之助から庄之助に昇格した初の事例。
1914.5空位
1915.512代
1922.118代13代
1926.119代14代13代伊之助→19代庄之助
1926.515代
1927.110代東西合併により三立行司体制へ移行。
1932.1020代16代15代伊之助→20代庄之助
1938.111代
1939.117代12代11代玉之助→17代伊之助
1940.521代18代13代17代伊之助→21代庄之助
12代玉之助→18代伊之助
1951.5廃止玉之助を副立行司へ降格、二立行司体制へ復帰。
1951.922代19代18代伊之助→22代庄之助
1960.123代20代副立行司廃止、玉之助は襲名されなくなる。
1963.124代21代20代伊之助→24代庄之助
1966.925代22代21代伊之助→25代庄之助
1972.5空位
1973.126代空位22代伊之助→26代庄之助
1974.123代
1977.1空位
1977.1127代24代23代伊之助→27代庄之助
1984.525代
1991.128代26代25代伊之助→28代庄之助
1992.1127代
1993.9空位
1994.1空位史上初めて立行司が番付上不在となる。
1994.528代
1995.129代29代28代伊之助→29代庄之助
2000.930代
2001.131代
2001.5空位
2001.1130代32代31代伊之助→30代庄之助
2003.3空位
2003.531代33代32代伊之助→31代庄之助
2006.132代34代33代伊之助→32代庄之助
2006.3空位35代
2006.533代36代35代伊之助→33代庄之助
2007.534代37代36代伊之助→34代庄之助
2008.535代38代37代伊之助→35代庄之助
2011.1136代空位38代伊之助→36代庄之助
2012.1139代
2013.7空位
2013.1137代40代39代伊之助→37代庄之助
2015.5空位
2018.7空位番付上立行司が不在(史上2度目)。
2019.141代
2024.138代空位41代伊之助→38代庄之助。庄之助は9年近くにわたる史上最長の空位解消。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1927年から1951年までの木村玉之助および1951年以降の副立行司の紫白は現在の式守伊之助が用いるものと同様である。1927年から1959年までの伊之助の菊綴・房は、現在のものより白部分が少ない紫白であった。
^ 立行司の式守伊之助が喉頭炎で休場 結びは式守勘太夫[3]

出典^ 根間, pp. 173?174.
^ 行司なくして大相撲は成り立たない!土俵支える裏方"行司"とは. NHK. 2019年7月5日
^[1]
^ “三役格行司の式守勘太夫が41代式守伊之助に昇進”. 日刊スポーツ. (2018年9月27日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809270000765.html 2018年9月27日閲覧。 

参考文献

根間弘海『大相撲行司の世界』吉川弘文館、2011年11月1日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-642-05732-5


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