立浪和義
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立浪 和義中日ドラゴンズ 監督 #73
2022年11月6日、Agreスタジアム北谷にて
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府摂津市
生年月日 (1969-08-19) 1969年8月19日(54歳)
身長
体重173 cm
74 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション二塁手三塁手遊撃手外野手
プロ入り1987年 ドラフト1位
初出場1988年4月8日[1]
最終出場2009年10月24日
セ・リーグ クライマックスシリーズ ファイナルステージ第4戦)
2010年2月27日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


PL学園高等学校

中日ドラゴンズ (1988 - 2009)

コーチ・監督歴


中日ドラゴンズ (2008 - 2009, 2022 - )

野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年2019年
得票率77.4%(371票中287票)
選出方法競技者表彰(プレーヤー部門)
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立浪 和義(たつなみ かずよし、1969年昭和44年〉8月19日 - )は、大阪府摂津市出身[2]の元プロ野球選手内野手外野手、右投左打)、プロ野球監督。第34代中日ドラゴンズ監督日本プロ野球名球会理事[3]
概要

1987年PL学園高等学校野球部の主将として甲子園第59回選抜高校野球第69回全国高校野球)で春夏連覇を達成し、同年のドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受け入団[4]。プロ1年目(1988年)に新人王およびゴールデングラブ賞(高卒新人としては日本のプロ野球NPB〉史上初)を獲得し[4]、その後もプロ22年目[注 1]2009年限りで現役を引退するまで[6]、中日の中心選手として活躍[4]。NPB史上最多となる通算487二塁打[7]や通算2480安打(NPB歴代8位)[注 2]を記録した[9]2022年から中日の監督に就任する[10][11]

西沢道夫(初代)や高木守道(2代目)とともに「ミスタードラゴンズ」(3代目)と呼ばれる[12]。現役引退後の2019年に競技者表彰で野球殿堂入り[13]2020年時点では、日本テレビ中京テレビフジテレビ東海テレビCBCテレビCBCラジオで、野球解説者として活動していた[2]
経歴
プロ入り前

1969年8月19日大阪府済生会吹田病院大阪府吹田市)で次男として生まれ[14]、同府摂津市鳥飼で育った[15]。本来は右打ちだが、幼いころに元社会人野球選手の父親によって左打ちに矯正された[16]。幼少期は王貞治に憧れていた[17]

1976年4月、摂津市立鳥飼小学校に入学した[18][1]。小学校2年生の時に両親が離婚し[19][20]、これ以降は母親の元で2歳年上の兄とともに育てられていた[21]。小学校4年生の時に兄から誘われ、兄が加入していた硬式少年野球チームの「茨木ナニワボーイズ」に加入し[22]、野球に打ち込んだ[16]。この時は五厘刈りをためらい入団を決意できずにいたが、母親から「ボーイズに入るなら(嫌いな)算盤はやめてもいい」と言われ、どちらを取るか考えた末に野球を選んだ[23]。小学校6年生の際、作文には将来の夢について「野球選手」と書いていたが、このころから「野球選手になってお金を稼ぎ、母親に楽をさせる」という目標を思い描いていた[24]。なお6年生の春までは投手だったが、肘を痛め、野手に転向。同期の橋本清が代わり、エースとなった[25]

1982年4月[26]摂津市立第二中学校へ進学したが、同校の生徒数急増により3年時からは摂津市立第五中学校へ転入し[25]、同校が出身中学となっている[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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