立川飛行場
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立川飛行場
Tachikawa Airfield
立川飛行場を北方から空撮
IATA: なし - ICAO: RJTC
概要
国・地域 日本
所在地東京都立川市
種類軍用
所有者防衛省
運営者陸上自衛隊
運用時間8:30-17:00 (JST)
開設1922年
所在部隊東部方面航空隊
第1飛行隊
警視庁航空隊
東京消防庁航空隊
標高95 m
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分39秒 東経139度24分11秒 / 北緯35.71083度 東経139.40306度 / 35.71083; 139.40306
地図
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滑走路

方向 長さ×幅 (m) 表面
01/19 900×45 アスファルト

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立川飛行場の空中写真(2019年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

立川飛行場(たちかわひこうじょう)は、東京都立川市に所在する防衛省所管の軍用飛行場。旧立川陸軍飛行場は立川市と昭島市にまたがって所在していた。1945年昭和20年)から1977年(昭和52年)までは在日米軍空軍基地でもあった。
概要

現在の自衛隊立川飛行場は1982年3月から運用が開始され[1]、主に各官公庁のヘリコプターが運用されている。陸上自衛隊立川駐屯地(駐屯地司令は東部方面航空隊長が兼任)の一部であると同時に、立川広域防災基地としての役割があることから、東京消防庁航空隊多摩航空センターや警視庁航空隊立川飛行センターが併設され共用している。

常駐機はないが、海上保安庁の海上保安試験研究センターもヘリコプターの駐機場・格納庫・給油施設を備える[2]。訓練のため定期的に航空自衛隊C-1輸送機や海上保安庁のヘリコプターが飛来する。滑走路の長さは900m[3]であるが、北側の長さ300mの過走帯(離着陸時の滑走に使用できる)と合わせると1,200mである。
航空管制

種類周波数(VHF)周波数(UHF
TWR118.85MHz 123.10MHz 123.45MHz 126.20MHz
138.05MHz 139.80MHz 141.65MHz236.80MHz 298.80MHz
GCA121.30MHz 125.30MHz 134.10MHz 138.30MHz235.00MHz 270.80MHz 335.80MHz


太字は主要波を、斜体は救難用波をそれぞれ表す。

出域管制は横田DEP、入域管制は横田APP/RDR/ARRIVALによる管制を受ける。

歴史
立川陸軍飛行場神風号日本軍に鹵獲され日の丸国籍標識を描きテスト飛行中のB-17

1922年大正11年)、帝都防衛構想の陸軍航空部隊の中核拠点として開設された。当時の立川駅北側には広大な土地があり、燃料輸送や兵員輸送などの軍用列車を運用するにも好都合な立地だった。前年に岐阜県各務原で編成された飛行第五大隊が移駐し、同隊は1925年大正14年)に飛行第五連隊へと昇格した。

立川陸軍飛行場は昭和時代の初めに軍民共用飛行場として民間機が利用していた時期があり、1923年(大正12年)から10年間ほどは日本飛行学校が飛行場西側の空き地を借りて練習場としていた。東西定期航空会1928年昭和3年)に立川と大阪(城東練兵場)を3時間で結ぶ定期航空路を開設したが、翌1929年(昭和4年)日本航空輸送吸収合併された。その後、1931年(昭和6年)に羽田飛行場が開港し、1933年(昭和8年)に民間機は完全に羽田飛行場に移転して立川陸軍飛行場は陸軍専用となったが、1937年(昭和12年)にフランスパリを目指して飛び立った神風号の出発は立川からだった。

日中戦争下の1938年(昭和13年)に飛行第五連隊隷下の戦闘中隊は飛行第五戦隊に改編され、翌年には千葉県柏飛行場へ移駐した。そのため太平洋戦争大東亜戦争)中は実戦部隊こそ置かれていなかったが、立川陸軍飛行場は陸軍航空部隊研究・開発・製造の一大拠点として重要な地位を占めていた。

立川陸軍飛行場の隣には陸軍航空工廠などの軍の工場や陸軍航空技術研究所1928年移駐)などがあり、新型機の開発・実験のみならず、太平洋戦争中には後身の陸軍航空審査部が前線でアメリカ軍イギリス軍から鹵獲したボーイング B-17ホーカー ハリケーンノースアメリカンP-51などの試験飛行を行っていた。また少し離れた場所には陸軍獣医資材本廠があった。

飛行場周辺には、軍用機を製造する立川飛行機日立航空機昭和飛行機工業など多くの民間工場とその下請け工場が建てられ、これらは戦争末期に連合軍から激しい空襲を受けた。
アメリカ空軍立川基地立川基地をタクシングするアメリカ軍のC-121航空写真に見る1974年撮影の立川飛行場付近。全面返還前。
右端の黒い部分が現在の立川飛行場の滑走路である。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成航空写真に見る1989年撮影の立川飛行場付近。全面返還後。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成横田飛行場(左)と立川飛行場の位置関係

敗戦に伴い連合国軍の1国として日本の占領に当たったアメリカ軍は立川飛行場を接収し、既存の滑走路の東側に延長約2000メートル(オーバーラン含む)の新滑走路を建設した。


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