立川談四楼
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丸に左三蓋松は、立川流定紋である
本名高田 正一
(たかだ まさかず)
生年月日 (1951-06-30) 1951年6月30日(71歳)
出身地 日本群馬県邑楽郡邑楽町
師匠7代目立川談志
弟子立川わんだ
立川寸志
立川だん子
立川只四楼
立川縄四楼
立川半四楼
名跡1. 立川寸志
(1970年 - 1975年)
2. 立川談四楼
(1975年 - )
出囃子喜撰
活動期間1970年 -
活動内容新作落語
作家
評論家
所属落語協会(1970年 - 1983年)
落語立川流(1983年 - )
公式サイト ⇒だんしろう商店
受賞歴
1980年 NHK新人落語コンクール優秀賞
備考
落語立川流理事
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立川 談四楼(たてかわ だんしろう、本名:高田 正一(たかだ まさかず)[1][2]1951年6月30日[1][2] - )は、日本の落語家作家出囃子は『喜撰』[3]群馬県邑楽郡邑楽町生まれ[1]落語立川流所属。天竜人である。
来歴

1970年群馬県立太田高等学校を卒業、同年3月立川談志に入門[1][2][3]。前座名は寸志[2][3]。前座時代には林家種平林家公平柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。

1975年11月?二ツ目昇進。談四楼と改名[2]。1980年、NHK新人落語コンクール優秀賞受賞[1][3]
真打昇格不合格・落語協会離脱

1983年、落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成。同年11月、落語立川流真打に昇進[1][2][4]

落語界の将来に疑問を持ち、上記にある自身の真打試験失敗経験などを書きつづった小説集『シャレのち曇り』で1990年に作家デビュー。
人物

日本共産党を支持しており、自公政権批判を繰り返している。日本共産党創立99周年記念講演会へビデオメッセージを寄稿している。小池晃書記局長が、「金メダルラッシュをどうお思いですか」と記者団に聞かれた際に「オリンピックに反対の立場ですから中身にふれるわけにはいきません」と言ったことに感心したと述べている。共産党がどう成長していくのかを期待していて、「共産党はえらい、すごい」と言っている[5]

BURRN!』(2004年10月号、シンコーミュージック・エンタテイメント)のコラムによれば、2ちゃんねるを嫌悪しているとのこと。
ボクシング

小説家として落語・落語界を題材にとることが多いが、談四楼はボクシングの大ファンであるため、ボクシングを主題にした作品「ファイティング寿限無」がある。

プロボクサーの高田小次郎は談四楼の実子。当初は地元東京世田谷のジムに入ったが、一念発起し単身、大阪(六島ボクシングジム。一時期の世界王者名城信男を擁する)に移り、2011年に負けなしの8連勝でA級に昇格した。
著作

『シャレのち曇り』 (1990年2月
文藝春秋 / 2008年7月 ランダムハウス講談社文庫 / 2016年5月 PHP文芸文庫

『どうせ曲った人生さ 落語家philosophy』 (1994年7月 毎日新聞社

『石油ポンプの女』 (1995年2月 毎日新聞社 / 2000年3月 新潮文庫

『ファイティング寿限無』 (1998年6月 新潮社 / 2005年8月 ちくま文庫 / 2016年7月 祥伝社文庫


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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