竈山神社
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竈山神社

拝殿
所在地和歌山県和歌山市和田438
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度12分3.69秒 東経135度12分16.01秒 / 北緯34.2010250度 東経135.2044472度 / 34.2010250; 135.2044472 (竈山神社)座標: 北緯34度12分3.69秒 東経135度12分16.01秒 / 北緯34.2010250度 東経135.2044472度 / 34.2010250; 135.2044472 (竈山神社)
主祭神彦五瀬命
社格式内社(小)
官幣大社
別表神社
創建不詳
本殿の様式春日造
別名釜山神社
札所等神仏霊場巡拝の道第8番(和歌山第8番)
例祭10月13日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}竈山神社
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大鳥居

竈山神社(かまやまじんじゃ、釜山神社)は、和歌山県和歌山市にある神社式内社旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
概要

和歌山市南部、竈山の地に鎮座する。「竈山」とは『古事記』『日本書紀』に見える地名で、両書では神武天皇(初代)長兄の彦五瀬命(五瀬命)が竈山に葬られたという。当社はその彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)がある。

明治初期までは小さな社であったが、戦前の国家神道の発展に伴って最高の社格である官幣大社に位置づけられ、さらに社殿等が整備されて現在に至っている。また境外摂社として、式内社(名神大社)である静火神社を所管する。

和歌山市内にある日前神宮・國懸神宮と竈山神社、伊太祁?曽神社に参詣することを「三社参り」と言う。
祭神

祭神は次の通り[1]
主祭神


彦五瀬命(ひこいつせのみこと)「五瀬命」とも。ウガヤフキアエズタマヨリビメの間に生まれた長男(第1子)で、神武天皇の長兄。

配祀神


左脇殿:彦五瀬命の兄弟神

稲飯命(いないのみこと) - 『日本書紀』本文では第2子(一書で第3子)。

御毛入沼命(みけいりぬのみこと) - 『日本書紀』本文では第3子(一書で第2子)。

神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇) - 末弟(第4子)。


右脇殿:神武東征に従軍した随身

高倉下命(たかくらじのみこと) - 熊野の土豪。

可美眞手命(うましまでのみこと) - 物部氏祖。

天日方竒日方命(あめのひがたくしびがたのみこと) - 大神氏祖。

天種子命(あめのたねこのみこと) - 中臣氏祖。

天富命(あめのとみのみこと) - 忌部氏祖。

道臣命(みちのおみのみこと) - 大伴氏祖。

大久米命(おおくめのみこと) - 久米氏祖。

椎根津彦命(しいねつひこのみこと) - 倭氏祖。

頭八咫烏命(やたがらすのみこと) - 賀茂氏祖。

祭神関係略系図

祭神関係略系図

??草葺不合尊 玉依姫
  
              
             
彦五瀬命稲飯命御毛入沼命神日本磐余彦命
(初代神武天皇

   

天皇家


歴史
創建神武天皇初代天皇で、彦五瀬命の末弟にあたる。彦五瀬命(五瀬命)『前賢故実』より。

祭神の彦五瀬命神武天皇(初代)の長兄にあたる。『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇の東征の際に行軍した彦五瀬命は、孔舎衛坂(くさえざか)[注 1]長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷、その後雄水門(おのみなと、男之水門)[注 2]で崩御、のち竈山に葬られたという[2][注 3]

この彦五瀬命の墓は、現在は宮内庁によって竈山神社後背にある古墳「竈山墓(かまやまのはか)」に治定されている[3]天正の兵乱で文書が散逸したため竈山神社・墓の由緒は明らかでないが、『紀伊続風土記』では当地が「竈山墓」にあたるとし、墓の造営後直ちに神霊を奉斎したがために墓と祠が一所にあるとしている[3][2]
概史

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では紀伊国名草郡に「竈山神社」と記載され式内社に列しているほか、『紀伊国神名帳』では「従四位上 竈山神」と記載されている[3]。また『延喜式』諸陵寮では「竈山墓」の記載も見える(後述)。

永徳元年(1381年)の日前宮文書では、鵜飼新五郎の紀国造家からの神主補任の記載があり、以降中世を通じて鵜飼家が神職を世襲していたとされる[3]

天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐によって社宝・古文書を焼失、社領の神田8町8段も没収されたという[3]慶長5年(1600年)に紀伊国に入った浅野幸長によって小祠が再建され、寛文9年(1669年)に初代紀州藩主・徳川頼宣によって社殿が再建された[3]。しかし江戸時代を通じて寺社奉行の支配下に置かれたため、氏子・社領なく衰微したという[3]


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