この項目では、空間と呼ばれる数学的構造について説明しています。初等幾何の概念としての「空間」については「ユークリッド空間」を、その他の内容については「空間」をご覧ください。
数学における空間(くうかん、英: space)は、集合に適当な数学的構造を加味したものをいう。 現代数学における「空間」の扱いは、古典的な扱いと比べると、極めて異なる。 古典的現代的古典的現代的 数学的空間は(ある空間のクラスが基となる空間のクラスの特徴を全て受け継ぐという意味で)しばしば階層構造を示す。例えば、任意の内積空間は、‖x‖2 := ⟨x, x⟩ によって内積がその空間上のノルムを導くから、ノルム空間にもなる。 古い時代の数学では「空間」は日常生活において観察される三次元空間の幾何学的抽象化であった。ユークリッド(紀元前300年頃)以来、公理的手法を主要な道具とした研究が行われていた。デカルトにより、座標を用いる方法(解析幾何学)が導入されるのは1637年のことである[1]。このころは幾何学の定理というものは、自然科学における主題同様に、直観と理屈を通して知ることのできる絶対的で実在の真実として扱われていた[2]し、公理というものは定義の言外において疑いようのない事実として扱われていた[3]。 幾何学的な図形の間に、合同と相似という二種類の同値関係が考えられた。平行移動、回転変換、鏡映変換などは図形をそれと合同な図形にうつし、相似変換(拡大縮小)は図形をそれと相似な図形へうつす。例えば、円はどれも互いに相似だが、楕円は円と相似でない。モンジュが1795年に画法幾何学(射影幾何学)によって導入した第三の同値関係は、射影変換に対応するもので、楕円も抛物線も双曲線も適当な射影変換の下で円に写されるから、これらはすべて射影的に同値な図形ということになる。 ユークリッド幾何と射影幾何[4]との関係は、数学的対象がその「構造によって」与えられるものではないということを示すものになっている[5]。それどころか、各数学理論は、その対象が持つ「ある種の」性質によって(正確には、それらが満たす理論の基礎となる公理によって)記述される[6]のである。 射影幾何の公理には、距離や角度といったものは述べられていないから、従って射影幾何学の定理にそれらが現れることもない。故に「三角形の内角の和はいくらか」という問いはユークリッド幾何学では意味を持つが射影幾何学においてはまったく意味を成さない。 19世紀には別な状況が現れる。「三角形内角の和」がきちんと定義できるにもかかわらず、それが古典的な幾何学における値(つまり180度)と異なるような幾何学が出現するのである。そのような幾何学としての双曲的非ユークリッド幾何は、1829年にロバチェフスキーが、1832年にボヤイが(また非公表であったけれども、1816年にガウスが)導入した[4] 幾何で、そこでは三角形の内角の和が180度よりも常に小さくなる。1868年にはベルトラミ このような発見から、ユークリッド幾何こそが絶対的な真理であるという主張は放棄せざるを得なくなり、幾何学の公理は「疑いようのない事実」でも「定義の含意」でもない、仮説にすぎないことが明らかとなった。つまり、「経験的実在に対応する幾何学の範囲はどのようなものか」という物理学的に重要な問いは数学にとっては何の重要性ももたないものとなったのである。ただし、「幾何学」が経験的実在と対応しないとしても、幾何学の定理は「数学的な真実」であることに変わりはない[3]。 非ユークリッド幾何のユークリッド模型は、ユークリッド空間に存在する適当な対象とそれらの間の関係で、非ユークリッド幾何の公理を全て(従って定理も全て)満たすようなものを巧みに選び出したものである。これらのユークリッド的対象と関係は、あたかも非ユークリッド幾何にもともと存在する該当の対象や関係として「振舞う」が、ユークリッド模型として選ばれた対象や関係はあくまで非ユークリッド幾何における対象や関係を模倣しているに過ぎない。これによって、対象の間の関係は数学として本質的なものであって、対象が自然に持つ特質ではないことが示される。 ブルバキによれば、(モンジュの「画法幾何学」が公表される)1795年から(クラインのエルランゲン目録が示される)1872年までの期間は「幾何学の黄金時代」と呼ばれる[8]。このころ解析幾何学は大いに発展して、古典幾何学の定理を変換群に関する不変量を通じた計算に置き換えることに成功しており[9]、実際に古典幾何学の新たな定理が職業数学者よりもむしろアマチュアの手によって発見されている[10]。 しかしこれは、古典幾何学の地位が失われたことを意味するものではない。ブルバキによれば、「自律し生きた科学としての役割は終えたが、古典幾何学は当代の数学の普遍的な言語へと姿を変えた」[11]のである。 1854年、リーマンの有名な就任講演によれば、n 個の実数でパラメータ付けられた任意の数学的対象は、そのような対象全体の成す n-次元空間の点として扱うことができる[12]。現代の数学者はこの考え方をごく普通に踏襲し、さらに強力に推し進めて古典幾何学の用語法をほとんどどこにでも用いる[11]。 この手法の一般性を十分に理解するためには、数学というものが「数や、量あるいはそれらの描像の組み合わせではなく、思考の対象をこそ目的とする、純粋に形式の理論」[details 1]であることに注意する必要がある[5]。 函数は重要な数学的対象であり、普通は無限次元の空間を成す。このことは既にリーマンが指摘していた[13]ことであり、20世紀には函数解析学によって精緻化されている。 n-個の複素数によってパラメータ付けられる対象は、複素 n-次元空間の点として扱うことができるが、同じものを(複素数の実部と虚部を考えて)2n-個の実数によってパラメータ付けすることもできるから、実 2n-次元空間の点と考えることもできる。従って、複素次元は実次元とは異なる概念である。実は、これらは氷山の一角である。「代数的」な次元の概念は線型空間に対して適用することができるし、「位相的」な次元の概念は位相空間に対して考えることができる。また、距離空間に対するハウスドルフ次元の概念は、(特にフラクタルに対して)非整数値を取りうる。あるいは(測度空間などの)ある種の空間では、次元の概念を全く考えることができないこともある。 ユークリッドによって研究されていたような「空間」は、今日では「三次元ユークリッド空間 三次元射影空間も現在では古典的な公理による定義ではなく、四次元線型空間の一次元部分空間(つまり原点を通る直線)の全体が成す空間として定義される。
概要
公理は定義の言外にある疑いようのない事実である。公理は純規約的なものである。空間の幾何学的性質は公理から従う。空間の公理がその幾何学的性質の全てを決定するとは限らない。
定理は絶対的で実在する真理である。定理は対応する公理から導かれる結果である。幾何学は自律した生きた科学である。古典幾何学は数学に対する普遍的な言語である。
点や直線などの間の関係性は、それら固有の特質によって決定される。点や直線などの間の関係性は、それら固有の特質によるものではない、根源的なものである。空間は三次元である。異なる種類の空間にそれぞれ異なる次元の概念が適用される。
数学的対象はその構造によって与えられる。各数学理論においてその対象はそれらの持つ特定の性質によって記述される。空間は幾何学における議論領域(宇宙)である。空間は単に数学的な構造であって、数学の各分野において生じるものである。
幾何学は経験的実在に対応する。幾何学的な定理は、単に数学的に真なる命題である。
ある種の数学的空間の階層構造。内積はノルムを導き、ノルムは距離を導き、距離は位相を導く。
歴史
黄金時代以前
黄金時代以後