空間
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ウィキペディアでの名前空間については「Help:名前空間」を参照。

空間(くうかん、: space)とは、
(日常の用語)大きさを持った入れ物

(哲学)時間と共に物質界を成立させる基礎形式。アリストテレスなどに古代ギリシアの思想では、個々の物が占有する場所(トポス)である。カントは空間を時間とともに人間精神の「直観形式」だとする立場を呈示した。

(物理)ニュートンは、空間を3次元ユークリッド空間、すなわち、3方向に無限に拡がるものとする数学を用いてニュートン力学体系を構築した。そして「(空間は)そのnature(本性)において、外界のいかなるものとも関係がなく、常に同じままで(不変)、不動」と記述した。[注 1]万有引力」という考え方(遠隔作用論の一種)を提示し、宇宙の空間のすべての点が、全ての天体の位置と質量を「知って」いる、と考え、空間というのは「神の感覚中枢 (sensorium dei)」であると述べた[1]。空間を絶対と見なしたニュートンに対して、(ニュートン同様に大御所であった)ライプニッツは空間は相対的なものである、と見なし、論戦が繰り広げられた。アインシュタインの特殊相対性理論では、空間と時間はミンコフスキー時空という一体のものとして記述され、さらに一般相対性理論では、物質(質量)の存在により「曲がる」4次元リーマン空間として記述された。20世紀後半に発展した超弦理論では空間は9次元だとされる。→#自然哲学における空間#物理学における空間

(数学)→#数学における空間ユークリッド空間非ユークリッド空間空間 (数学)(集合に幾何学的構造を併せて考えたもの)など。

(建築) →#建築における空間

哲学物理学数学建築地理学社会学等々において用いられており、意味・説明は分野ごとに異なるので、それぞれ説明する。
自然哲学における空間アリストテレス古代から中世にかけての空間理解がわかる説明図の一例。ペトルス・アピアヌスの Cosmographia (アントワープ、1539年

自然哲学における理解を解説する。

アリストテレスは、自然学の基礎的概念として、事物の場所「トポス topos」としての空間概念を用い、物事の運動kinesisを説明した。トポスは「接触面」として、諸元素に対して能動的な作用を及ぼす実在であって、それぞれの本性により、火は上方に、土は下方の場所へと運動する、とした。→『トポス論』プトレマイオス

後にアリストテレスの自然哲学クラウディオス・プトレマイオスの天文学と合体し、性質的な差異と階層構造をもつ有限宇宙が想定された。月下界には月下界特有の性質・法則があり、月の向こう側の空間には、そこ独特の性質・法則があると考えられていた。空間というのは、位置によって性質が異なる、と一般に考えられていたのである。人々は、空間は位置により性質が違うから、地上のものは落下するが、惑星は落ちないまま円運動を続けている、と考えていた。空間は相対的なものであった(宇宙論を参照)。デカルトデカルトの『哲学原理』(1647年)に掲載されている、エーテルの渦と天体の図

ルネ・デカルトが1633年に執筆した『宇宙論』の原稿においては、物体とは独立の空間を認めており、運動というのは空間の中のある位置から別の位置への移動」として簡潔に定義できるものであった(だが、この書はデカルトの生前には出版されなかった。出版は死後である。)。その後のデカルトの渦動説によれば、空間にはすきまなく目に見えない何かが満ちており、物が移動すると渦が生じている、物体は「」によって動かされている、と説明された[2][3]重力を説明する古典力学的理論を参照)。

自然哲学者アイザック・ニュートンは、上述のデカルトの渦動説は本で読んだものの、その体系に相当無理があると気づいていた。ニュートンは一般に公表はされなかったものの、『重力および流体の平衡について』という書きかけの手稿(『自然哲学の数学的諸原理』が出版される相当前に書かれたもの)を残しており、そこでデカルトの渦動説を名指しで批判している。そして、その手稿で「場所とは物体が占める空間の一部」とし、「静止とは同じ場所にとどまること」「運動とは場所の変化である」としていた(ただしこれは公表されなかった)[3]ニュートンライプニッツ

ニュートンは、古代以来の「場所により空間の性質が異なる」という考え方に変化をもたすことにもなった。ニュートンは、天界の惑星の運動と地上の物体の落下が同一のしくみによってもたらされているとしても説明可能だと見抜き、「万有引力の法則」を公表した(『自然哲学の数学的諸原理』)。ニュートンはユークリッド幾何学を用いて、自らの理論体系を構築した。(当時、人類が知っていた幾何学はユークリッド幾何学だけであった。[3]。)よって、ニュートン力学においては空間は、無限に広がる3次元のユークリッド空間と想定されていることになる。『自然哲学の数学的諸原理』の冒頭部分の「定義」に続く箇所において、絶対空間と絶対時間という概念を導入した。「そのnature本性において、外界のいかなるものとも関係がなく、常に同じままで、不動の」と説明されている。ニュートンの力学体系では、空間は均一の性質で広がるものと想定されるようになり「絶対空間」と呼ばれたのである。また、ニュートンは同著においてその説明につづいて、絶対運動および相対運動について説明を行ない、バケツの中に水を入れ回転させる実験の説明を行った[3]

また、ニュートンは宇宙の空間のすべての位置・点が、全ての天体の位置と質量を知っているということから、空間というのは「の感覚中枢 (sensorium dei)」であると述べた。神は絶対性を有しており、宇宙のあらゆる空間に神はあまねく存在している(遍在している)としたのである。(『光学』[4])。

ライプニッツは空間というのは、同時に存在する事物の秩序、ととらえた。空間は表象と表象との関係によって定義される、とした。よってライプニッツの考えでは、ニュートンが言うような絶対空間というようなものは否定した。
2種類の空間概念にまつわる議論

絶対空間と相対空間の考え方について議論が行なわれた。

絶対空間は、英国の自然哲学者ニュートンが唱えた空間概念で、連続的で均質な無限の広がりを想定している。

これは、ドイツのライプニッツによる批判の対象となった。ライプニッツは、相対空間という概念を提示した。ライプニッツによれば、空間とは諸物の関係であり、空間の存在は、その中の諸物の関係を、幾何学などにより合理的に説明できれば証明されるとした。これは、空間の性質を、諸物の位置ならびに位置相互にある距離として表現するものであった。ニュートン(およびその支持者)とライプニッツ(およびその支持者)の間には、激しい論争が闘わされ、何度も書簡(第1-5書簡)のやりとりがなされた[3]

ライプニッツの第2書簡においては、宇宙における物質の量に関してニュートンを批判しつつ、真空などという概念はないときっぱりと否定した。ライプニッツはその理由として、宇宙に物質の量が多ければ多いほど神の力と知恵を行使できる機会が多いのだから、物質のない虚ろな空間はありえない、とした[3]。第5書簡では、水銀をいれたガラスのチューブを用いたトリチェリの実験(1643年)も引き合いに出し、アリストテレス主義者やデカルト主義者らの見解も提示しつつ「空気を抜かれたガラスのチューブには光線が通過することからして小さな穴があいているに決まっている。そしてその穴は空気は通さないけれど、磁気などの希薄な流体を通すのであって、ガラス容器の中にはそのような微小な物質がつまっていると考えるべきである」と述べた[3]。(ライプニッツのこの説明は、現在の物理学における磁場などの、目に見ることも触れることもできない「場」の概念を先見するものだったとも評価されている[3]


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