空の神兵(そらのしんぺい)とは、大日本帝国陸軍・海軍の落下傘部隊(空挺部隊・挺進部隊)、落下傘兵(空挺兵・挺進兵)に対する愛称。および、それら落下傘部隊を描いた日本の軍歌(戦時歌謡)、ならびに陸軍落下傘部隊を描いた映画作品のタイトル。
日本軍落下傘部隊「真白き薔薇の花模様」と謳われた落下傘。パレンバンに降下する帝国陸軍第1挺進団詳細は「挺進連隊」、「第1挺進集団」、および「日本海軍空挺部隊」を参照
太平洋戦争(大東亜戦争)蘭印作戦中の1942年(昭和17年)1月11日、海軍の横須賀鎮守府第一特別陸戦隊がセレベス島メナドに、同年2月14日に陸軍の第1挺進団(挺進第2連隊)がスマトラ島パレンバン(パレンバン空挺作戦)に対し敵前にて奇襲落下傘降下を敢行。作戦は成功しオランダ軍他が守備する飛行場(メナド・パレンバン)や、大油田・製油所(ともにパレンバン)を制圧した。これらの活躍から日本軍落下傘部隊に対し「空の神兵」の愛称が付けられた。 音楽・音声外部リンク
軍歌『空の神兵』
全曲を試聴
空の神兵
空の神兵(灰田勝彦・大谷冽子歌)
JVCケンウッド提供のYouTubeアートトラック
作詞 梅木三郎
作曲 高木東六
歌唱 鳴海信輔・四家文子/灰田勝彦・大谷冽子
上述の日本軍落下傘部隊を謳った軍歌(戦時歌謡・軍国歌謡)として、1942年4月にビクターレコードから発売。天降る落下傘を青空に咲く白薔薇になぞらえており、歌詞中の藍より青い空、純白の落下傘、赤き血潮といった色彩的表現や、軍歌としては異色な曲調、間奏部におけるチューブラーベルとグロッケンシュピールによる落下傘の描写が印象的である。
作曲者の高木東六は「自分はあの暗かった時代に少しでも彩りを、と思って作曲したら、あんな歌詞を付けられて迷惑した」[1]と証言しているが、別の対談では「軍歌は嫌々作っていた」と前置きしたうえで「ただ空の神兵は、レコード会社の人が梅木三郎さんの歌詞を持ってきて、それを読んだ瞬間僕の頭にさわやかなイメージが広がったんです。簡明、直截、且つ美しいイメージはこれまでの軍歌にはなかったものです。これなら作れると瞬間的に思いました。 (中略) あの曲は僕の曲作り、曲想そのもので書く事ができたから、確か十五分くらいで出来上がったと思います」[2]と証言している。こちらでは「歌詞から曲を作った」と証言している訳で、根本的に話が食い違っている。
1943年(昭和18年)8月?1944年(昭和19年)8月のレコードの販売枚数は3万3000枚[3]。
本歌は、帝国陸軍落下傘部隊を描いた後述の映画『空の神兵』の主題歌としても採用された。
なお、『空の神兵』同様に日本軍落下傘部隊を歌った軍歌として、ほかに『陸軍落下傘部隊の歌』(陸軍航空本部選詞・山田耕筰作曲)と『海軍落下傘部隊の歌』(米山忠雄作詞・江口夜詩作曲)があり、ともに1942年に発売されている。また太平洋戦争緒戦の各戦線(南方作戦)を題材とする『大東亜戦争陸軍の歌』(朝日新聞社選定、佐藤惣之助作詞・古関裕而作曲)では、第6番にてパレンバン空挺作戦が謳われている。 この『空の神兵』は、帝国陸軍落下傘部隊(第1挺進集団)の事実上の後身である陸上自衛隊第1空挺団にも継承されている。 第1空挺団は衣笠駿雄元陸軍少佐[4]に率いられた第1次研究員20名によって創設されたものであるが、この第1次研究員20名こそが太平洋戦争末期に帝国陸軍落下傘部隊において教育途中であった元挺進兵であった。そのため帝国陸軍落下傘部隊の歴史は陸上自衛隊落下傘部隊の歴史とされ、その伝統を堂々と継承している第1空挺団の事実上の隊歌として使用、かつ「降下訓練始め」では歌唱付きの『空の神兵』がそのまま場内で放送されている。このほか、 富士総合火力演習や駐屯地祭・基地祭などでの降下展示の際に、音楽隊により演奏またはBGMが流される場合がある。 空の神兵
陸上自衛隊
映画『空の神兵』
監督渡辺義実
脚本渡辺義実
音楽高木東六
主題歌空の神兵
撮影川口一男
福田三郎
公開 1942年9月
上映時間55分
製作国 日本
言語日本語
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渡辺義美監督、陸軍航空本部監修、日本映画社製作、1942年9月公開の国策を目的とした帝国陸軍全面協力によるドキュメンタリー映画(戦争映画)。