積善寺城
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大阪府
積善寺城の案内看板
別名積善寺城
城郭構造平城
天守構造不明(本丸にの可能性あり)
築城主根来衆
築城年1558年(永禄元年)
主な改修者不明
主な城主出原右京
廃城年1585年(天正13年)
遺構発掘調査が出土
指定文化財なし
再建造物なし
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度25分37.42秒 東経135度21分43.585秒 / 北緯34.4270611度 東経135.36210694度 / 34.4270611; 135.36210694
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積善寺城(しゃくぜんじじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城平城)。
概要

積善寺城は、貝塚市の南側にあり、近木川に面した段丘上に位置し、北側には小栗街道(熊野街道)が走り、根来寺とは根来街道を介して、つながっている。推定地として貝塚市立中央病院から近木川を挟んだ対岸の一帯で、江戸時代には橋本村の集落があり、安楽寺付近に本丸があったのではないかという伝承がある。和泉の戦いでは根来衆の主力部隊がいた。
沿革安楽寺の山門近木川/城郭の東側を流れる

もとは和泉国の四長者の一人、郡吉長者の仏観音堂であったものを永禄元年(1558年)に根来衆と三好氏との戦いの時に、をこの地に築き先陣としたのが最初とされる。

天正5年(1577年雑賀侵攻の時には積善寺城はみえないが、天正9年(1581年高野攻めには「城郭取立也」とある。また天正11年(1583年秀吉の紀州攻めでは、中村一氏岸和田城に入城させ、雑賀衆、根来衆に備えた。この時の戦いの様子は千石堀城の戦い千石堀城攻防戦も参照。

天正12年(1584年小牧・長久手の戦い豊臣秀吉が出撃した隙を狙って、雑賀衆、根来衆連合軍は、中村城、沢城、田中城、積善寺城、千石堀城を5城を付城として岸和田城の5ばかりを隔てて、翌天正13年(1585年)正月始めまで幾度か小規模な戦闘が続いたが、同年1月16日雑賀衆、根来衆連合軍は7つ付城から岸和田城を攻城、中村一氏隊も反撃している。同年3月18日に雑賀衆、根来衆連合軍は紀伊国より出撃、同年3月21日岸和田城から豊臣秀吉軍が出軍、戦いとなり鳥羽城、中村城、積善寺城は放火や落城した。この時豊臣秀吉軍は、地蔵堂丸山古墳に陣を置き積善寺城と対峙していた。豊臣秀吉は卜半斎了珍を仲介とし畠中城、沢城は開城した。この後の戦いの様子は根来・粉河・雑賀炎上及び第二次太田城の戦いも参照。

この戦い後積善寺城は破却され廃城となった。
城郭積善寺城と周辺地域の空中写真/国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成根来出城図/岸和田市立郷土資料館蔵

城郭に関しては、「東面七拾八間二重堀・西面九拾三間三重堀・南面百弐拾間三重堀、外に横二十五間、長百五十間貯池有、北面百三拾二間三重堀、外に大川有、本丸三拾五間四面云々」(『春生随筆』)とあり、本丸は約53m四方で、周りには濠をめぐらしていた。また同書に秀吉の紀州攻めの配置として、

秀吉の紀州攻め積善寺城の配置配置本丸大将本丸矢倉東矢倉西矢倉北矢倉南矢倉
武将名出原右京山田蓮池坊
野原大部知明院長橋正知坊
出田長寿院
山下南ノ坊西蔵院
寿宝院近木忠次郎
熊取寿命院
熊取大納言

とあり、5つのにそれぞれの武将が配置され、常詰衆として360兵、増援軍として9140兵が城内にいたと記されている。1843年(天保14年)の『日根郡寺社覚』には安楽寺境内やその一帯が城跡と記されている。
発掘調査

積善寺城の発掘調査として、2003年(平成15年)に2回、2004年(平成16年)に1回実施された。2003年(平成15年)に行われた発掘調査は個人住宅建設に伴うもので、積善寺城のと考えられる遺構が発見された。濠は東西に掘られており、幅は6メートル以上、深さは1.8メートルで、U字型に掘り込まれて、石垣は備えていなかった。濠は3層の埋土が確認でき、下層は断続的な水の流れが確認でき、防備目的以外にも排水路との指摘もある。中層は人為的に埋められた層で、埋め立て作業が短期間で行われた。上層は、埋め立てた後に新たに掘削されたとなっている。またこの溝からは大量のや大きななどの遺物が出土しており、これらを使用して溝が埋められたと考えられている。この濠は城の南側に設けたと考えられ、下層からは干瓦が出土しているが、籠城戦と関係ある遺物は出土しなかった。また、2004年(平成16年)に行われた発掘調査では、江戸時代の生活排水溝は検出したが、積善寺城と関連する遺構は確認できなかった。理由としては、後世の開発により削り取られている可能性がある。
城跡へのアクセス寺池/積善寺城の南西側にある

電車でのアクセス

西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線和泉橋本駅

徒歩 約10分


車でのアクセス

阪神高速4号湾岸線 貝塚出入口 → 大阪府道29号 → 大阪府道64号

周辺に駐車場なし


参考文献

創史社『
日本城郭大系』第12巻 大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月、215、218頁。

城郭談話会事務局『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会事務局、2004年12月、216-217頁。

貝塚市教育委員会『貝塚市の史跡と文化財』改訂版、貝塚市教育委員会、2009年3月、43頁。

貝塚市教育委員会「秀吉の紀州攻めと積善寺城跡」『かいづか文化財たより』テンブス18号、貝塚市教育委員会、2004年7月、2-3頁。

関連項目

日本の城一覧

豊臣政権

石山合戦

石山本願寺

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、積善寺城に関連するカテゴリがあります。

積善寺城/貝塚市公式ホームページ


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