稲葉正次
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 凡例稲葉正次
時代江戸時代
生誕天正19年(1591年
死没寛永5年5月26日1628年6月27日
墓所東京都江東区雲光院
幕府江戸幕府
主君徳川秀忠
氏族稲葉氏
父母父:稲葉正成、母:稲葉重通
兄弟正次、正勝、正定、正房、正利正吉
まん(堀田正吉正室)、朽木稙綱正室
養兄弟:政貞
子正能
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稲葉 正次(いなば まさつぐ)は、江戸時代前期の旗本稲葉正成の長男。

稲葉正成の正室の子で嫡男であったため、本来なら父の遺領を継ぐはずだったが、継母の福(春日局稲葉重通養女で斎藤利三の娘)が徳川家光の乳母となったため、嫡子の座を異母弟で福の生んだ正勝に譲ることとなった。

元和4年(1618年)、徳川秀忠に召し出され5,000石の所領を与えられる。寛永5年(1628年)、死去。

嫡男・正能が僅か3歳であったため、遺領は弟・正吉が相続するが、正能も後に旗本として召し出され、初の日光奉行を務めるなど活躍。子孫は旗本として存続した。










青野領初代領主 (1618年 - 1628年)


稲葉正次1618-1628

稲葉正吉1628-1656

稲葉正休1656-1682

天和2年(1682年)8月、正休の知行が万石を越え大名に列したことで、以後は青野藩主となる


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