凡例稲葉 正勝
稲葉正勝像(養源寺蔵)
時代江戸時代前期
生誕慶長2年(1597年)
死没寛永11年1月25日(1634年2月22日)
改名千熊(幼名)→正勝
別名通称:宇右衛門
戒名紹大道号古穏
墓所神奈川県小田原市長興山紹太寺
東京都文京区 養源寺
官位従五位下、丹後守
幕府江戸幕府
主君徳川家光
藩常陸柿岡藩主→下野真岡藩主→相模小田原藩主
氏族稲葉氏
父母父:稲葉正成、母:春日局(稲葉重通養女、斎藤利三娘)
兄弟正次、正勝、正定
稲葉 正勝(いなば まさかつ)は、江戸時代前期の大名・老中。常陸国柿岡藩主、下野国真岡藩2代藩主、相模国小田原藩初代藩主。正成系稲葉家宗家2代。母は春日局(斎藤利三の娘)。甥に堀田正盛。 母が3代将軍徳川家光の乳母となったことから、乳兄弟として幼少時より家光に小姓として仕え、将来を期待された。 元和7年(1621年)、書院番頭に任じられる。元和9年(1623年)に年寄衆(老中)に任じられ、寛永元年(1624年)には常陸真壁郡に5000石を加増され、それまでの所領と合わせて柿岡藩1万石を領する大名に列する。同時に従五位下・丹後守に叙任した。寛永元年(1624年)、越前福井藩の松平忠直の改易および松平忠昌の転封に際しての行動により、幕府より懲罰を受けた父の正成[注釈 1]を自領内にて預かる。名目上の扱いは謹慎処分であったが、正成は寛永4年(1627年)2月には正勝とは別に下野真岡藩2万石として復帰した。その後も父の遺領を相続して下野真岡藩4万石となるなど加増を重ね、転封し相模小田原藩8万5千石となる。寛永9年(1632年)には、肥後国熊本藩主加藤忠広の改易に際して熊本城接収の副使を務めている。 しかし幕政での激務が堪えたのか、寛永10年(1633年)の夏頃から吐血するなど体調を著しく悪化させ、翌寛永11年(1634年)に死去した。享年38。次男の正則が跡を継いだがいまだ幼少であったため、母方の伯父の斎藤利宗、次いで甥の堀田正盛が後見人となった。 死の直前、徳川忠長に仕えていた弟・正利が忠長の改易に連座して配流処分にされることを知ると、死の床に伏していた正勝は最期の気力を振り絞って幕府に懇願し、縁戚に当たる細川忠利[注釈 2]の熊本藩への流刑を求め、更に遺言で忠利にあてて50貫目を託し、正利が赦免されるまでの保護を依頼している[1]。
生涯
稲葉正勝が登場する作品
テレビドラマ
『春日局 (NHK大河ドラマ)』(NHK、1989年、演:伊崎充則→磯崎洋介→唐沢寿明)
『葵 徳川三代(NHK大河ドラマ)』(NHK、2000年、演:小林宏至
『大奥?第一章?』(フジテレビ、2004年、演:上條誠→榊英雄)
『大奥?誕生[有功・家光篇]』(TBS、2012年、演:平山浩行(幼少期:玉山詩))
『大奥』(NHKドラマ10、2023年、演:眞島秀和)
漫画
池田理代子『春日局 けふぞ火宅を』
よしながふみ『大奥』(白泉社)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 松平忠昌の御付家老
^ 正勝の外祖父斎藤利三は、忠利の外祖父明智光秀の親族でその重臣であった。
出典^ 『大日本近世資料』細川家史料「細川忠興書状」寛永11年3月5日・21日付。
表
話
編
歴
稲葉氏柿岡藩藩主 (1624年 - 1628年)
稲葉正勝1624-1628
大名移封後、真岡藩に編入、廃藩
表
話
編
歴
稲葉家真岡藩2代藩主 (1628年 - 1632年)
浅野家
浅野長重1601-1611
常陸国真壁藩を相続、転封
堀家
堀親良1611-1627
下野国烏山藩に転封
稲葉家
稲葉正成1627-1628
稲葉正勝1628-1632
相模国小田原藩に転封、領地は小田原藩の飛び地を経て、天領に。
表
話
編
歴
稲葉家小田原藩初代藩主 (1632年 - 1634年)
大久保家
大久保忠隣1594-1614
改易
阿部家
阿部正次1619-1623
武蔵岩槻藩転封
稲葉家
稲葉正勝1632-1634
稲葉正則1634-1683
稲葉正往1683-1685
越後高田藩に転封
大久保家
大久保忠朝1686-1698
大久保忠増1698-1713
大久保忠方1713-1732
大久保忠興1732-1763
大久保忠由1763-1769
大久保忠顕1769-1796
大久保忠真1796-1837