本記事の主犯である元警察官・稲葉圭昭は、実名で著書を出版しており、削除の方針ケースB-2の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。
稲葉事件(いなばじけん)は、2002年7月に北海道警察の生活安全特別捜査隊班長である稲葉圭昭(いなば よしあき)警部(当時)が覚せい剤取締法違反容疑と銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕・有罪判決を受けた事件である。 2002年(平成14年)7月5日、札幌市内で飲食店を経営しているW(40歳男)は、自ら覚醒剤を持ち、同市の北海道札幌方面北警察署に出頭(自首)し、逮捕された[1]。 Wは、生活安全特別捜査隊班長である稲葉圭昭警部が覚醒剤を使用していることや大量に所持していることを供述した[1]。供述した相手は北署の警察官ではなく、勾留質問を行った札幌地方裁判所の裁判官だったとされる[2]。 道警薬物対策課は7月10日午前、勤務中の稲葉に任意同行を求めて尿検査を実施し、覚醒剤の使用を示す陽性反応が出たため、同日午後に覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕した[1][3]。北海道警察で、現職警官が薬物使用で逮捕されるのは初めてだった[3]。道警は、稲葉を7月12日付で懲戒免職処分にした[4]。裁判で稲葉は、2000年(平成12年)秋頃から、上司との軋轢によるストレス解消のため、覚せい剤の使用を始めたと証言している[5]。 さらに道警薬物対策課は、稲葉本人の名義で借りていたアジトを7月18日に家宅捜索したところ、ロシア製の自動式拳銃PSM一丁と、ビニール袋に入った覚醒剤0.44 gを発見。対策課は7月31日、銃刀法違反(拳銃の不法所持)と覚せい剤取締法違反(所持)容疑で稲葉を再逮捕した[6]。また同日、札幌地方検察庁は覚せい剤取締法違反(使用)容疑で稲葉を起訴した[6]。 薬物対策課は7月23日、札幌市中央区にある稲葉の自宅マンションの家宅捜査にて、覚醒剤約92.9 g[5] を発見。密売目的と判断し、8月21日、稲葉を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)容疑で再逮捕した[7]。密売では、約2,000万円を超える利益を得たと後の裁判で認定されている[5]。 札幌地検は9月11日、覚せい剤取締法違反(所持)及び銃刀法違反(所持)容疑で稲葉を追起訴した[8]。 10月17日、稲葉を含む当時の銃器対策課の4捜査員が、偽証他の容疑で書類送検された[9]。 これは1997年(平成9年)11月14日、小樽市内でロシア人の船員が拳銃と実弾を所持していた銃刀法違反、加重所持で、有罪判決を受けた事件で、逮捕現場に捜査協力者であるパキスタン人がいたにもかかわらず、K警視の指示で捜査書類に記述せず、さらに公判でも「パキスタン人がいたことは確認していない」と偽証した容疑である。公判でロシア人の弁護側は「銃と中古車の交換を持ちかけられ、持ち込んだ。違法なおとり捜査だ」と主張したが退けられ、懲役2年の実刑判決が確定した[9]。稲葉事件発覚時には出所して、既に帰国していた。 送検されたのは稲葉、元北海道警察釧路方面本部生活安全課長のK警視(7月に自殺、後述)、道警外事課指導官のN警視(51 当時道本銃器対策課長補佐)、釧路署生活安全課係長C警部補(43 当時道本銃器対策課主任)。当時の銃器対策課長と次席(いずれも警視)は、関与がないとした[7]。 12月27日、札幌地検は稲葉の虚偽公文書作成・同行使容疑及び偽証容疑、Nの虚偽公文書作成・同行使容疑、Cの偽証容疑について、いずれも起訴猶予処分とした。Kについては被疑者死亡で不起訴処分とした[10][11]。
起訴までの経緯