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稲荷山観音寺金剛院は、明治の神仏分離・修験道廃止令までは、福岡県柳川市京町(旧瀬高町)に存在した真言宗当山派の寺院。 旧柳河藩立花家の祈願寺格。本山は、京都醍醐寺の三宝院。[1] 開基は立花忠茂。開山は金剛院信誉。寛永十五(1638)年島原の乱の後、御城中ノ島にあった立花家守護神「稲荷神」[注釈 1]を本尊として御遷宮される。信誉法印の父・金剛院密乗(みっちょう)は、紀州熊野権現之座主正覚院僧正即傳の第二子とされる。 天正年間に九州に下向し、六峰のひとつである寶満山(竈山)へ修行に入る。天正14年の島津の動乱の時には懇意にしていた「寶満山」の座主、浄戒坊隆全より立花山城の立斎(宗茂)様へ「御利運御増長」の御祈祷を請われ、立斎公へ「御陣御袈裟矢御除御札守」を進上する。以後、歴代藩主の代替わりには熊野権現へ代参を賜る。[2] 金剛院密乗(1535(天文4)?1621(元和7)年) 金剛院信譽 金剛院実譽 金剛院元真 金剛院信雅(1674(延宝2)?1739(元文4)年) 金剛院本教 金剛院快道(1743(寛保2)?1823(文政6)年) 金剛院密音(1768(明和5)?1830(文政13)年) 金剛院快音(1795(寛政7)?1832(天保2)年) 金剛院快成(1803(享和3)?1859(安政5)年) 金剛院密乗(1824(文政7)?1878(明治11)年) 永井雪丸 (1855(安政2)?1921(大正10)年)
目次
1 開基・開山
2 歴代院主
3 祭神
4 注釈
5 参考文献
開基・開山
歴代院主
祭神
注釈^ 当社傳記によれば、「稲荷神」の御姿を咤枳尼天稲荷御尊躰沈香御長ヶ八寸位、御衣之モヨウ等ハ古金ノホリ入レニテ至テ古佛之霊作也」と記されている。
参考文献^ *柳川市教育委員会・柳川古文書館編集 旧柳河藩立花家文書調査報告書(1)2002年発行 『当社御傳記』藩政1091、*渡辺村男著・柳川・山門・三池教育委員会編纂『旧柳河藩志』1980年発行、*西原一甫著 柳川郷土研究会発行『柳河明證図會』1978年。
^ *柳川市教育委員会・柳川古文書館編集 旧柳河藩立花家文書調査報告書(1)2002年発行 『当社御傳記』藩政1091、*渡辺村男著 柳川・山門・三池教育委員会編纂『旧柳河藩志』1980年発行、*西原一甫著 柳川郷土研究会発行『柳河明證図會』1978年。
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福岡県の寺
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更新日時:2012年5月10日(木)16:19(日時は
取得日時:2013/02/22 20:13