稲荷山古墳
墳丘(右に前方部、左に後円部)
別名埼玉稲荷山古墳
所属埼玉古墳群
所在地埼玉県行田市埼玉
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度07分45.81秒 東経139度28分51.66秒 / 北緯36.1293917度 東経139.4810167度 / 36.1293917; 139.4810167
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。
稲荷山古墳(いなりやまこふん、埼玉稲荷山古墳)は、埼玉県行田市埼玉にある古墳。形状は前方後円墳。埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定され(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)、出土品は国宝に指定されている。
金錯銘を有する鉄剣(稲荷山古墳出土鉄剣)が出土したことで知られる。 埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である。造営年代は、古墳時代後期の5世紀後半と考えられている。埼玉古墳群中では最初に築造された。 稲荷山古墳は大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇の陵に治定)と墳形が類似していることが指摘されている。大仙陵古墳を4分の1に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなる。また埼玉古墳群の二子山古墳、鉄砲山古墳も大きさは異なるものの稲荷山古墳と同じ墳形をしており、やはり大仙陵古墳をモデルとした墳形と見られている。埼玉古墳群以外に大仙陵古墳を縮小した形で造営された古墳としては、奈良県の川合大塚山古墳や岡山県の両宮山古墳などが挙げられる。 墳丘は二段に築成されており、葺石が使用された形跡はない。方形をした二重の周濠を持ち、濠の深さは築造当時の地表面から約1.8メートルと推定されている。周濠は通常は空で、水位が上がったときに水が溜まったものと考えられている。 後円部の円頂には埋葬施設の復元模型があり、階段で登れば見ることが出来る。ちなみに、埼玉古墳群内の大型古墳で登ることができるのは、丸墓山古墳とこの稲荷山古墳である。 前方部分は、1937年(昭和12年)に周辺の沼地の干拓工事の際に埋め立て用の土として取り崩された。その後1968年(昭和43年)に埋葬施設の発掘調査、1973年(昭和48年)には周堀の調査が行われ、1976年(昭和51年)に内堀の一部が復元された。しかしこの状態では古墳の保存状態が悪く、見学者には墳丘の形などについて誤解を与える可能性があったが、2003年(平成15年)の復元工事でほぼ修復された。 もともと墳頂部に稲荷社が祀られていたのでこの名があるが、水田中にあったので土地の人は「田山」とも呼んでいた。 晴れた日には100km先の富士山を墳頂部から真正面に眺めることができる。 1968年、規模の小さい愛宕山古墳を調査する予定だったが、急遽、半分壊れていた稲荷山古墳を調査。この発掘調査において、壊れていたために盗掘を免れていた後円部分の礫槨(れきかく)から金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が発掘された。1978年、この鉄剣の保存処理を行うために、鉄さびを落とす作業中、金色に光る部分を発見。X線検査をしたところ、115文字の金象嵌の銘文が表されていることが判明し、1983年、他の出土品とともに「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として国宝に指定された。鉄剣や銘文の詳細は、「鉄剣・鉄刀銘文」項や「金錯銘鉄剣」項参照。
概要
規模・形状
墳丘長120.0メートル
後円部径62.6メートル・高さ10.4メートル
前方部幅82.4メートル・高さ9.4メートル(推定)
後円部西側の裾部に(左くびれ部分に)は造り出しがある。
前方部長軸は富士山に向いている。
前方部が失われる前の稲荷山古墳 現在の稲荷山古墳(2012年10月)
(360°インタラクティブパノラマで見る)墳頂(後円部)の全天球画像
(360°インタラクティブパノラマで見る)
後円部墳頂
前方部から後円部を望む
後円部から前方部を望む
造出
鉄剣
副葬品