稲村成浩
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稲村 成浩(いなむら なりひろ、1971年12月18日 - )は、群馬県前橋市出身の競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第69期生。日本競輪選手会群馬支部所属、ホームバンクは前橋競輪場。師匠は実父の稲村雅士で、同じく選手の稲村好将は実弟。血液型はA型。
自転車競技での戦績

獲得メダル

銀1990 前橋アマ・タンデムスプリント

偉大な競輪選手である稲村雅士を父に持っていたため、早くから自転車に親しんでおり、群馬県立前橋工業高等学校の自転車部に入部してからは高校総体などで数度優勝する。その実績から高校在学中の1990年グリーンドーム前橋で開催された世界選手権自転車競技大会に出場し、タンデムスプリントで銀メダルを獲得してゴール後、板についた投げキッスのパフォーマンスを行い、満員の場内を沸かせた。競輪選手としてデビューしてからも自転車競技に参加し続け、オリンピックを含めた各種の国際大会に出場している。

1990年 世界選手権自転車競技大会(グリーンドーム前橋)で1学年下の齋藤登志信と組んでタンデムスプリントで出場(パイロット)、銀メダルを獲得

1994年 ワールドカップ第4戦東京大会で斉藤正剛横田努と組んでオリンピックスプリントに出場、銅メダルを獲得

1997年 ワールドカップ第3戦イタリア・フィオレンツラ大会に馬渕紀明小嶋敬二と組んでオリンピックスプリントに出場、銅メダルを獲得

1998年 ワールドカップ第4戦フランス・トゥーロン大会で1kmタイムトライアルに出場、銀メダルを獲得

1999年 第19回アジア自転車競技選手権大会でオリンピックスプリントに出場、金メダルを獲得

2000年 シドニーオリンピックに出場。1kmタイムトライアルで9位、長塚智広神山雄一郎と組んだオリンピックスプリントで5位入賞

競輪での戦績

競輪学校へは世界選手権での功績により技能試験免除で第69期生として入学し、在校成績トップで卒業する。同期の横田努(のち齊藤努)・澤田義和と共に「ハイタワーズ」とも呼ばれた(3人とも身長が180cm台のため)。

初出走は1992年4月11日前橋競輪場で初勝利も同日。デビュー後からは連勝を重ねA級からS級へ特進すると、わずか7ヶ月弱で記念競輪を優勝し、以降もトップクラスとして活躍する。GI高松宮記念杯2着など賞金順位によってKEIRINグランプリ'94にも出場(9着)。しかし、競輪学校在学中の卒業記念レースから新人戦を含めてタイトルと名のつくものは記念以外全く獲得できず、この事で父の功績とよく対比されていた。

その後、1999年佐世保競輪場ふるさとダービーを優勝してからは勢いをつけ、2001年の第54回日本選手権競輪では決勝戦で長い写真判定の末に2着を微差で退けて悲願のGI初優勝を果たし、表彰式で観戦に来ていた父に向かい表彰台の上から大声で絶叫(『親父・・・やったぞ!』)して報告したことは語り草となっている。

その後も長く活躍し、51歳となった2022年下期でも最上位のS級1班格付けを維持したが、2023年上期ではA級1班に降格が決まった。
主な獲得タイトルと記録

2001年 - 日本選手権競輪松戸競輪場

デビュー最短記念競輪優勝 - 6ヶ月(1992年11月7日一宮競輪場

競走スタイル

自転車競技では1kmタイムトライアルと主体としていたことから、主に先行の戦法で活躍していたが、のちに捲りと追込を兼備する戦法へと切り替えた頃には、レース中混戦となった時に有利となる中団の位置を確保することについては抜群の巧さを誇っていた。現在は一般的な追込戦法となっている。
関連項目

後閑信一

高橋光宏

金子真也

木村実成

工藤わこ

競輪選手一覧

外部リンク

選手プロフィール - KEIRIN.JP



稲村成浩 - サイクリングアーカイヴス(英語)

稲村成浩 - Olympedia(英語)










日本選手権競輪優勝者
1940年代

49・第1回(甲規格):横田隆雄 (乙規格):横田隆雄

49・第2回(甲規格):横田隆雄 (乙規格):小林源吉

1950年代

50 宮本義春

51・第4回 山本清治

51・第5回 高倉登

52・第6回 高倉登

52・第7回 宮本義春

53 中井光雄

54 松本勝明

55 松本勝明


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