稲作
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この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2016年1月)
タイの田植え。東南アジアの稲作では1ヘクタールに満たない水田でも、田植え、除草、収穫に農業労働者が雇用されることが多いミャンマーの水田における農作業

稲作(いなさく)とは、イネ(稲)を栽培することである。収穫後の稲からは、米、米糠(ぬか)、籾殻(もみがら)、(わら)がとれるが、主にを得るため稲作が行われている。

稲の栽培には水田が利用され、それぞれの環境や需要にあった品種が用られる。水田での栽培は水稲(すいとう)、畑地の栽培は陸稲(りくとう、おかぼ)とよばれる。栽培品種は大きくジャポニカ米インディカ米に分けることができ、ジャポニカ米はさらに熱帯ジャポニカ(ジャバニカ米)と温帯ジャポニカに区分される。形状によっても、短粒種、中粒種、長粒種に分類される。ジャポニカ米は短粒種で、インディカ米は長粒種とされるが、長粒種のジャポニカ米も存在するため正確ではない。

現在は、北緯50から南緯35度の範囲にある世界各地域で栽培されている。米生産の約90%をアジアが占め、アジア以外では南アメリカブラジルコロンビアアフリカエジプトセネガルマダガスカルでも稲作が行われている。
伝播の理由

稲作が広く行われた理由として、

米の味が優れており、かつ脱穀・精米・調理が比較的容易である
[1]

イネは連作が可能で他の作物よりも生産性が高く、収穫が安定している(特に水田はその要素が強い)[1]

施肥反応(適切に肥料を与えた場合の収量増加)が他の作物に比べて高く、反対に無肥料で栽培した場合でも収量の減少が少ない[1]

水田の場合には野菜・魚介類の供給源にもなり得た(『史記』貨殖列伝の「稲を飯し魚を羹にす……果隋?蛤、賈を待たずしてたれり」は、水田から稲だけでなく魚やタニシも瓜も得られるので商人の販売が不要であったと解される)[2]

などが考えられている[3]
歴史
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この項目では、稲の栽培史である稲作の起源について説明しています。植物としてのイネの起源については「イネ」をご覧ください。
インドの田植えイラン北部、マーザンダラーン州の田植えブラジル南東部サンパウロ州パライーバ渓谷の水田インドネシアジャワ島の牛耕田ネパールの田植え

稲作の起源地は、栽培イネOryza sativa 1083品種とその起源種とされる野生イネO. rufipogon 446系統[4][5]などのゲノム解析や考古学的な調査により、約1万年前の中国珠江中流域[4]あるいは長江流域[6]と考えられている。かつては雲南省遺跡から発掘された4400年前の試料や遺伝情報の多様性といった状況から雲南省周辺からインドアッサム州周辺にかけての地域が発祥地とされていた[4][7][8]

ゲノム解析の結果と、遺跡から発掘されたイネの遺物から、まず野生イネから熱帯ジャポニカ祖先系統が栽培化され、それに異なる野生系統が複数回交配してインディカ組成系統が生じ、熱帯ジャポニカ祖先系統に人為選択が加わって温帯ジャポニカ祖先系統が生まれたと考えられている[9]。長江流域にある草鞋山遺跡のプラント・オパール分析によれば、約6000年前にその地ではジャポニカ米が栽培されており、インディカ米の出現はずっと下る[10]。ゲノム解析の結果から、白米化は野生イネが熱帯ジャポニカ祖先系統に栽培化される過程で生じ、紫黒米と餅米は熱帯ジャポニカ祖先系統から生じたと考えられている[9]
東アジア
中国

中国では紀元前6000年から紀元前3000年までの栽培痕跡は黄河流域を北限とした地域に限られている。紀元前3000年以降山東半島先端部にまで分布した。
日本

従来、紀元前5?4世紀頃に水田稲作から始まったとされていたが、現在は、縄文時代後晩期(約3000?4000年前)には水田稲作が行われていた可能性が高いと考えられている[11]。水田稲作の伝来経路としては、山東半島から黄海を横断し朝鮮半島を経て日本に伝来した経路が有力とされる[12]が、詳細は後述する。近年は、水田稲作伝来以前からの熱帯ジャポニカ種の陸稲栽培の可能性が指摘されるようになったが、決定的な証拠は発見されていない。これも詳細は後述する。
朝鮮半島

無文土器時代前期にあたる平壌市南京里遺跡で発見されたイネが最古であるが、陸稲であった可能性が高いとされる。水田稲作に関しては朝鮮半島南部では、3100年前の水田跡が慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡から、2500年前の水田跡が松菊里遺跡で見つかっている。
結核との関連

古代の東アジアにおける結核は稲作文化とセットで中国から広まったと考えられている[13][14][15]

2019年時点では、中国・朝鮮半島・日本列島から出土した人骨にある結核による脊椎カリエスの痕跡の年代と場所の関係から、結核と稲作文化は長江流域にある広富林遺跡(現在の上海市)の付近から日本に伝播した可能性が示唆されている[14][15]
東南アジア・南アジア

東南アジア南アジアへは紀元前2500年以降に広まった[16]。その担い手はオーストロネシア語族を話すハプログループO-M95 (Y染色体)に属する人々と考えられる[17]

東南アジアにおいても、稲作文化と同時に結核も伝播したという指摘がある[15]
中央アジア・西アジア

トルコへは中央アジアから乾燥に比較的強い陸稲が伝えられたと考える説や、インドからペルシャを経由し水稲が伝えられたと考える説などがあるが、十分に研究されておらず未解明である[18]
アフリカ

栽培史の解明は不十分とされているが、現在のアフリカで栽培されているイネは、地域固有の栽培稲(アフリカイネ Oryza glaberrima )とアジアから導入された栽培稲(アジアイネ Oryza sativa )である[19]


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