程潜
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程潜
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生:1882年3月31日
光緒8年2月13日)
死去:1968年4月5日
中華人民共和国北京市
出身地: 湖南省長沙府醴陵県
職業:軍人・政治家
各種表記
繁体字:程潛
簡体字:程潜
?音:Cheng Qian
ラテン字:Ch'eng Ch'ien
和名表記:てい せん
発音転記:チォン チエン
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程 潜(てい せん)は中華民国中華人民共和国の軍人、政治家。湖南軍(湘軍)の軍指揮官の1人で、後に中国国民党国民政府国民革命軍)の将軍となる。中華人民共和国でも、政治家として活動している。は頌雲。
事績
日本留学と辛亥革命

16歳で秀才となり、翌年長沙城南書院で学ぶ。1900年光緒26年)、岳麓書院の正課生となった。しかし軍人の道に転じ、1903年(光緒29年)、湖南武備学堂に入学する。

1904年(光緒30年)、日本に留学して東京振武学校に入学する。このとき、黄興宋教仁李根源李烈鈞らと知り合い、12月に革命同志会に加入した。翌年8月、孫文(孫中山)と対面し、中国同盟会に加入している。1906年(光緒32年)、東京振武学校を卒業して姫路の砲兵連隊で1年実習を積む。翌1907年光緒33年)、陸軍士官学校第6期砲兵科に入学し、李烈鈞、唐継尭が同学となった。

卒業後の1909年宣統元年)2月に帰国し、四川省朱慶瀾率いる第33混成協で参謀に任ぜられ、新軍の編制・訓練事務に携わった。翌年冬、四川陸軍(新建陸軍)第17鎮が成立すると、朱が統制となり、程は正参謀官に任ぜられた。

1911年(宣統3年)10月、辛亥革命が勃発した際には、程潜は偶然にも父の喪で故郷に戻っていた。そして程は直ちに漢口に向かい、黄興の指揮下で漢陽の戦いに参加した。後に湖南省に戻り、湖南都督府参謀部長に任ぜられている。中華民国成立後の1912年民国元年)、湖南省都督府軍事司司長、1913年民国2年)3月、湖南省軍事庁長に任命された。しかし同年7月の二次革命(第二革命)に参加して敗北し、日本に亡命した。このとき、程は早稲田大学で政治経済学を学び、李根源・李烈鈞らと欧事研究会を組織して、その幹事となっている。
孫文配下として

1915年(民国4年)12月、護国戦争が勃発すると程潜は帰国して昆明に向かい、護国軍湖南招撫使に任ぜられた。翌年4月には、湖南へ進軍して護国軍湘軍(湖南軍)総司令に任ぜられた。そして袁世凱に味方していた[1]湖南督軍湯?銘を撃破し、7月には長沙に入城している。しかし袁死後の北京政府は、後任の湖南督軍に譚延?を任命したため、程は憤慨して上海に去ってしまった。

1917年(民国6年)8月、孫文が護法運動を開始すると、程潜は孫の命を受けて湖南省辺境に赴く。9月18日、衡陽永州を拠点に湖南護法軍総司令として蜂起した。まもなく北京政府が援湘軍を派遣してきたが、劣勢にもかかわらず程は善戦し、11月には一時長沙を攻略している。しかしやはり兵力差は覆せず、次第に省辺境の郴州に追い込まれ、1919年(民国8年)6月、上海へ逃れた。

1920年(民国9年)12月、孫文が広州で軍政府を再組織すると、程潜は陸軍次長に任命され、部務を代理した[2]。翌年10月には、桂林で大本営陸軍部次長(代理総長)となる[3]1922年(民国11年)6月、陳炯明がクーデターを起こすと、程潜は千人余りの軍勢を率いてこれに反撃し、孫から討逆軍総司令に任じられた。その翌年2月には大本営軍政部長に任ぜられ、東江討逆総指揮も兼ねて陳討伐に従事した。この年に広州で大本営陸軍講武学校が創設され、程が校長に任命された。
北伐と1927年南京事件程潜別影

孫文死後の1925年(民国14年)6月、程潜は反乱を起こした劉震寰楊希閔を鎮圧する。7月、大本営が改組されて国民政府が成立すると、程は16人の国民政府委員の1人に選任された。9月には陳炯明の討伐に赴き、11月、これを完全に掃討している。

1926年(民国15年)1月、中国国民党第2回全国代表大会で中央執行委員に当選し、まもなく国民革命軍第6軍軍長に任ぜられた。北伐が開始された9月初めに、程潜は中路総指揮に任ぜられる。程は江西省孫伝芳軍を撃破し、同月19日に南昌を占領した。孫軍の大反撃に遭い、いったんは後退を余儀なくされたが、11月、同僚の軍と協力して反撃に転じ、再び南昌を攻略して江西を平定している。


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