移籍
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移籍(いせき)は、所属を移して新たに活動する事。主にスポーツ選手が所属チームを移したり、芸能人が事務所などを変える際に使用されるが、一般でも同業他社に移る場合に使用することがある。
スポーツ界
アメリカンプロスポーツ

野球バスケットボールアメリカンフットボールなどアメリカ発祥のプロスポーツの場合、移籍の形態として以下の場合がある。

トレード

制限付きフリーエージェント(日本では単にフリーエージェント

ウェイバー公示

無制限フリーエージェント(日本では自由契約

ポスティングシステム

ドラフト

詳細は各項を参照。
競馬
騎手

一般に日本の騎手は、中央競馬及び地方競馬の特定の厩舎に所属するが、中央競馬、あるいは地方競馬(ここではある特定の地区)の範囲内で所属厩舎を変更するという意味での「移籍」は頻繁に行われている。中央競馬の場合は、特定の所属厩舎を持たない「フリー騎手」への移行や、逆にフリー騎手が特定厩舎の所属になることも多い。

一方で中央競馬の騎手が地方競馬に、あるいは地方競馬の騎手が中央競馬に移る場合も「移籍」と呼ぶが、これはかなり困難を伴い、地方競馬から中央競馬へ移籍する際は中央競馬が独自に設ける試験に合格する必要がある。2001年、当時笠松競馬所属であった安藤勝己が中央競馬の騎手試験を受験し不合格になった際は、他の受験者同様に学科を含む1次試験から受験した。この措置に対し「地方競馬とはいえ実績のある騎手に対して非常に失礼な扱い」と競馬関係者・マスコミからの批判があり、これを受けて2002年以降、日本中央競馬会(JRA)は「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」について、学科試験を含む1次試験を免除する[1] 旨の騎手免許試験の規程変更を行い、安藤は試験に合格し中央競馬の騎手となった。安藤の合格以降、この規程の適用者は安藤を含め4名[2] おり、また、この規程の対象外で1次試験から受験し合格した者も4名[3] 存在する。

逆に中央競馬から地方競馬に移籍する騎手は過去にごく少数の例があるのみである。

また、地方競馬の騎手が所属する地区を変更する場合にも制限があり、変更後一定期間は騎手ではなく、兵庫県競馬組合の様に例外無く厩務員としての活動を求められる場合もある[4]。近年は競馬場の休止、廃止が少なくないが、騎手の中にはこの制約のため他地区への移籍を断念・廃業する者もある[5]

海外からの移籍については、完全移籍となると、2017年現在は中央競馬で過去3名(横山賀一ミルコ・デムーロクリストフ・ルメール)しか存在しないが、現在は短期免許制度による期間限定騎乗が認められており、外国人騎手は同制度を活用して騎乗する場合が多い。逆に中央競馬・地方競馬の騎手の海外への移籍については特に制約はなく、中でも益田競馬場に所属していた道川満彦1989年マレーシアシンガポール地区へ騎乗拠点を移し、移籍初年度にリーディングジョッキーにも輝いている。
競走馬

競走馬においては中央競馬と地方競馬で馬主資格条件が異なるため、特に地方競馬から中央競馬への移籍については金銭トレードによる所有馬の譲渡が行われる場合もある。また日本では海外でデビューした競走馬については一部の例外を除き[6]、移籍を一切認めていないが(逆に日本でデビューした競走馬が海外に移籍するのは可能)、日本国外では国を越えた移籍が行われることがある。
サッカー

サッカーの場合は移籍金制度があり、選手が移籍するに当たって移籍先から移籍元へ金銭を支払うのが通例であるが、選手交換によるトレード移籍もある。また、選手を一定期間のみ移籍させる「期限付き移籍(レンタル移籍、ローン移籍)」もある。

欧州では年2回の移籍期間がある。シーズン終了後から翌シーズンの開幕まで(通常8月31日まで)の期間(最大12週間)とシーズン中盤(通常1月、最大4週間)に設定されており、一般に「移籍市場」と呼ばれる。Jリーグにおいては日本サッカー協会による「移籍リスト」に掲載され、期限までに所属先が決定されて移籍となる。オフシーズンの移籍リストへの登録期限は翌年1月第1金曜日まで。シーズン中の期限は海外への移籍は8月7日、Jリーグクラブ間、あるいは海外からJリーグクラブへの移籍は9月15日までと設定されている。

1969年までのフランスのプロサッカー界では「終身契約制度」が存在しており、この制度の下においてクラブチームは選手の競技生命が終わるまで本人をチームに拘束することが許された一方で本人の意思と関係なく移籍・トレードなどに出すこともできた。こうした制度は1973年にプロサッカー憲章が締結されたことで徐々に緩和を見ることになり、1995年のボスマン裁定でそれが決定的となった[7]
大相撲

大相撲においては、部屋が消滅したり独立して新たな部屋が創設された場合に親方とその内弟子である力士の移籍が行われるが、力士個人としての移籍は原則として認められていない[8]。ただし、一門から破門されるなど移籍を余儀なくされた場合はこの限りではない。かつて「預かり弟子」という慣習が存在していた時期には、「預けていた弟子を返してもらう」という形での移籍は行われていた(横綱東富士など)。

移籍を行う場合は、親方は部屋を持つ条件を満たし、日本相撲協会に「移籍届」を提出して承認を得る必要がある。

かつて部屋消滅に伴う力士の移籍は、元兄弟弟子同士が本場所で対戦することが好ましくないとされたため1つの部屋へのまとめての移籍が専らであったが、2012年に田子ノ浦部屋が閉鎖された際に戦後初の2部屋分割移籍が行われたのを機に分割移籍が一般的になりつつある。その背景には、相撲部屋の小規模化、兄弟弟子という考えに対する厳密さの低下の風潮などがある。

部屋付き親方の場合は移籍は比較的行われている。中には高砂部屋から九重部屋に移籍した元小結闘牙(当時年寄佐ノ山)のように、同じ一門とはいえ所属したこともなく師弟関係のつながりもない部屋に移籍する場合もある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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