移住
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移住(いじゅう、: migration)とは、生活の場である住居地を替えること[1]。住む場所を変えること[2]。他の土地に移り住むこと[3]
概要

移住は、住む場所、住居地を変えることである。

『ブリタニカ国際大百科事典』は、移住を大分類すると3つに分けられる、としている[1]。 同文献によると、大分類の1番目は、いままで住んでいた住居地を去って新しい住居地を見つけ、そこに永久的に住むことである[1]。 2番目は、一時的に住居地を替える移住があるという[1]。3番目としては、居住地を変えることを不定期や気まぐれに行い、定住地を持たず転々と生活の場を替える移住もあるという[1]

なお『ブリタニカ国際大百科事典』は、1番目の典型的な例としては次の2つを挙げていた[1]

農村から都市への移住[1](※1)

母国から外国への移住[1]
(※1)なお2020年春にコロナ禍が発生してからは、人口が密集し感染が起きがちな都市が世界的に嫌われるようになり、逆に 《都市から田舎への移住》 が世界的にさかんになっている。日本でも同様である。

2番目の移住の典型例としては、『ブリタニカ国際大百科事典』は、セカンドハウスを建てそこで一定期間生活することを挙げている[1]。(※2) (※2)他にも、心身不調が起きている場合は、転地療養のために数ヶ月?1年(あるいは数年)ほど住居地を変える、ということは昔から各国で広く行われている。不調の原因が良く分からない人でも転地療養をしてみるとあっさり心身の調子が良くなることも多く、実は不調の原因はもと住んでいた場所の特定の社会環境や特定のストレス源や特定の人とのゆがんだ人間関係などだった、と後から判明したり分析できるようになることも多く、その後の具体的な対処法を見いだせるようになり人生の明るい展望を得られることも多い。

「移住」という用語は、通常は自主的な移動について用いるが、「強制移住」というものもあり、政府の側の都合で強制力をもって集団的に移住させられるものである。人権軽視で、人種差別や異民族排除の気分が広がっている国で行われることがあり、強制移住は、それを強いられる側にとっては、かなり恐ろしい事態である。民族浄化(大量虐殺)が始まる兆しともなるからである。
歴史

移住は世界に大きな影響を及ぼしてきた。18世紀から19世紀には、ヨーロッパからアメリカ合衆国に数百万の人々が移住した。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

イングランドからの移民を描いたフォード・マドックス・ブラウンのThe Last of England

日本政府の南米への移住を宣伝するポスター

移住の要因

ある場所から離れたくなる要因と、ある場所に住みたくなる要因には次のようなものがある。おおむね裏表の関係にある
離れる要因

身の危険

宗教上の
迫害信教の自由の欠如

政治的な抑圧。政府による抑圧。恐怖政治(独裁的な政府による国民に対する脅し。政府による国民に対するテロリズム)。

民族差別、人種差別

国内の慢性的な景気悪化を受けた家計の苦境(貧困)。仕事の欠如

農地の慢性的な不足

国内の飢饉旱魃

内戦。国内の民族紛争。国内の民族間対立。

(愚かな指導者、野蛮な指導者が引き起こす)他国に対する野蛮な侵略戦争。それに伴い自身や家族が、恣意的に徴兵され「無駄死」することへの恐怖。(ロシアのプーチンがウクライナ侵略戦争を引き起こしたら、ロシア人は恐怖を感じ、その侵略戦争開始直後の数週間だけでも、数十万人のロシア人が外国に移住した。)

他国から起こされた侵略戦争で国内が戦場となった場合、非戦闘員(主に子供たちやその母親)の「身の安全の確保」のための外国への緊急移住。(2022年、ロシアに侵略されたウクライナでは1500万人の女性や子供たちが外国に移住(避難)することになった[4]。その他にも、ウクライナ国内で移住(避難)せざるを得なくなったウクライナ人が600万人以上いる[4]

女性に対する、国内の前時代的な差別。

子育てのしにくい環境

LGBTに対する差別。性的指向上の不寛容さらには迫害(具体的な身の危険)。

賃金水準の悪さや低下。数十年にも渡り世界的に平均賃金の水準が伸びているのに、自国内だけでは企業は狡猾に内部留保ばかりし、従業員に分配する気が全く欠如しており、平均賃金が伸びておらず、自国が明らかに相対的に沈み込んでおり、「失われた30年」などと言われていること(近年、日本の若者では日本に愛想をつかし、外国に移住して就職することを選ぶ人が増加している)

物価高騰

「引かれる」要因

身の安全

忖度せず、自分の信念について普通に語って良いという、西側先進諸国では"当たり前"となっている
自由があること。政治的な自由。

荒地を自力で耕し農地とすればその土地は自分の所有地としてタダで得られる、とする政府からの約束

物価の安さ

富の獲得(カリフォルニア・ゴールドラッシュ等)

就職の機会の増加。

賃金の上昇。(たとえば2022年時点で、日本からオーストラリアなどに移住して就職すると、同じ人でも賃金が2倍ほどになる)

自分の高い能力に見合った、良い仕事へ就く機会。

良い子育て環境

より良い教育

より良い福祉

家族・親戚・友人が住んでいること

国家の建設(イスラエル

特別な文化的、宗教的コミュニティの創設

文化の豊かさ

移住の制限ドイツ再統一以前の東ドイツから西ドイツへの移民を制限したベルリンの壁

複数の国は、国民に対して移住の自由を制限していた。1668年以降、中国王朝の漢民族に対して、満州中国東北部)への移住を禁止した。1681年、皇帝は、中国国民が満州及びモンゴルに越境できないようにするための柳條邊の建設を命じた[5]

1918年ソビエト連邦構成共和国が法律と国境を厳しくしてそのような制限を始め、1928年まで違法な移住もほぼ不可能であった[6]。これを強化するため、ソビエト連邦政府は国内のパスポート制度と各都市の住民登録の制度を規定し、「101st kilometre」と呼ばれる規則によって、小さな地域内の移動も制限した[7]

第二次世界大戦後の1945年、ソビエト連邦は複数の東ヨーロッパの国を占拠し、自国の影響下に置きまとめて東側諸国と呼ばれた。新たに獲得された地域の大部分の住人は、独立し、ソビエト連邦が退去することを望んだ[8]。第二次世界大戦が終結して5年も経たない1950年以前、1500万人以上の人々がソビエト連邦に占領された共産主義圏の東ヨーロッパから資本主義圏の西側諸国に移住した[9]。1950年代初めまでに、国家間の移動を制限するソビエト連邦の手法は、東側諸国の他の国々でも取り入れられた[10]


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