秩父盆地
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秩父地方を武甲山から望む

秩父地方(ちちぶちほう)とは、秩父山地に囲まれた、埼玉県最西部の地方である。現在の行政区画では概ね秩父市秩父郡のうち4町(横瀬町皆野町長瀞町小鹿野町)に当たる。面積は約892.62平方キロメートルで、約10万人が暮らしている[1]
目次

1 地理

2 歴史

3 語源

4 気候

5 行政

5.1 市町村


6 社会

6.1 言葉(方言)

6.2 食文化

6.3 祭り

6.4 秩父美人

6.5 民俗芸能


7 産業

8 秩父地方出身の有名人

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

地理 秩父盆地の地形図

埼玉県を横断する荒川の上流部であり、秩父盆地が広がる。秩父市中心部などには、荒川の浸食作用による河岸段丘がみられる。秩父山地に四方を囲まれており、東京都山梨県長野県群馬県に接している。

地域での主な交通手段としては、道路国道140号彩甲斐街道寄居皆野有料道路国道299号など、鉄道は秩父鉄道秩父本線西武鉄道西武秩父線である。
歴史

古代、良質の産地であった。知々夫国造が置かれたり、また坂東八平氏のうちの秩父氏を輩出したりするなど、昔から開けていた地域である。

なお、秩父地方に関わる日本史上の出来事として、以下のものが挙げられる。

708年和銅元年) 和同開珎の鋳造
武蔵国(現在の秩父市黒谷)から和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最古の貨幣とされる和同開珎が作られたとされる。

713年(和銅六年)頃 「知知夫」が「秩父」となる
元明天皇(第43代)が「畿内七道諸国郡郷の名は好事を著けよ」とを発し、後に編纂された『延喜式』民部式にも「凡諸なみかめい国部内郡里等の名は拉に二字を用ひ必ず嘉名を取れ」とある通り、「知知夫」が「秩父」に改まる[2]

1884年明治17年) 秩父事件
日本史上最大規模の民衆蜂起とされる事件。松方デフレ以来の経済危機に苦しみ悩む秩父地方の農民たちは、自由民権運動の影響を受けて困民党と呼ばれる組織を結成し、田代栄助らの指揮下で10月31日に武装蜂起を決行した。困民党軍は一時、小鹿野や郡都大宮郷(現在の秩父市)を武力占拠した。政府は警察や憲兵隊、それに陸軍東京鎮台の兵を動員し、11月9日までに徹底的な武力鎮圧を行った。事件後の裁判の結果、田代ら死刑7名を含む4000名余が処罰された。

2000年平成12年) 旧石器捏造事件における「秩父原人」
秩父市の小鹿坂遺跡で50万年前の旧石器とともに住居跡が「発見」された。当時は「北京原人よりさらに昔の世界最古の原人で、洞窟で生活していたという定説を覆す人類史上の大発見」と大きく注目されたが、後に発見者の藤村新一による捏造であることが発覚し、考古学上の価値は失われた。
語源

諸説あり、国造「知知夫彦命」由来説、秩父に多いイチョウの木の古語「チチノキ」起因説、鍾乳洞の鍾乳石の別名乳石(ちちいし)由来説、アイヌ語「チチブ(「冷やかな清水」の意)」説、「千千峰(峰が多いの意)」説、父母を意味する「ちちぼ」説、など[2]
気候


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