秩父武基
[Wikipedia|▼Menu]

 凡例平 武基
時代平安時代後期
生誕不明
死没不明
別名秩父武基
氏族桓武平氏良文秩父氏
父母父:平将恒
兄弟武基、豊島武常、小山田常任
子高麗武家、武綱
テンプレートを表示

平 武基(たいら の たけもと)は、平安時代後期の武将坂東八平氏の一支流・秩父氏当主[1]。秩父武基とも記される。平良文の曾孫。
略歴

系図には「秩父別当」とあり、武蔵国秩父、または国衙別当を務めたと見られる。秩父郡石田牧は承平6年(933年)4月2日以降、勅旨牧となっている。史料上の牧と秩父平氏の関係は不明だが、軍事貴族の流れを汲む武基が現地の旧郡司を務める氏族と結びつき、牧の管理を行う事で秩父平氏が発展していったと考えられる。

子・武綱前九年の役後三年の役に加わって先陣を務めている。
系譜

父:
平将恒

母:不詳

妻:不詳

男子:高麗武家

嫡男:平武綱


脚注^ 『姓氏』(監修:樋口清之/著者:丹羽基二秋田書店)によると、秩父氏は秩父国造の末裔と記されている。

出典

落合義明
『中世東国の「都市的な場」と武士』 山川出版社2005年

先代
平将恒秩父氏歴代当主
次代
平武綱


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:3742 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef