秩父橋
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秩父橋
旧秩父橋(2代目)から見た、秩父橋(3代目)
基本情報
日本
所在地埼玉県秩父市
交差物件荒川
設計者
施工者五十畑弘[1]
建設1980-1985
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度1分5.2秒 東経139度5分9.5秒 / 北緯36.018111度 東経139.085972度 / 36.018111; 139.085972
構造諸元
形式斜張橋
材料鋼
全長153.153 m
幅10.0 m
高さ40 m
最大支間長152.0 m
地図
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関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道299号標識

秩父橋(ちちぶばし)は、埼玉県秩父市阿保町と同寺尾の間に架かり、荒川を渡る国道299号および埼玉県道44号秩父児玉線の道路である。現在国道299号が通っている橋は、1985年に竣工した3代目で、その下流にある2代目の橋も旧秩父橋として現存している。
概要

秩父地方で最古の歴史を持ち、古くから秩父新道として小鹿野児玉方面への主要な交通路としての役割を果たしてきた橋である。1985年架設の本橋は河口から120.6キロメートルの位置に架かる[2]埼玉県では初の斜張橋である。橋の両側は河岸段丘になっていて右岸側と左岸側の段丘面を直接結んでいる。橋軸は線形を重視するため旧橋とは異なり、河道に対し約45度[3]の斜橋となっている。国道の橋であるが管理者は埼玉県[2]である。国道299号は国道と称しているが直轄国道ではなく補助国道であり、全区間県管理である。また、埼玉県の第一次特定緊急輸送道路に指定されている[4]西武観光バスの小鹿野線(系統番号G)や秩父吉田線(系統番号D)の走行経路に指定されている[5]。右岸側は「龍石寺」停留所が最寄り。

橋長153.153メートル、総幅員11.5メートル、有効幅員10.0メートル(車道8.0メートル、歩道2.0メートル)支間長152.000メートルの1径間の斜張橋の1等橋(TL-20)[6][7]である。高さ40メートルの逆「Y」型の主塔は左岸側に1基あり、そこから右岸に向かって直径7 mmの鋼線を束ねてケーブル保護管(ポリエチレン管、グラウト充填)で被覆された6対のフロントケーブルがファン型で重量約1200トンの鋼床版の箱桁に張られ[8]、その反対側は単ストランドでは当時として世界最大径となる4本のバックステイケーブルで左岸側の段丘崖に打ち込まれたアンカーレッジに固定された[3]非対称な外観を有する。橋の構造が特殊なため、主塔の側面などよりトランシットを用いるなどして主塔の傾きがないか定期的に点検している[3]。橋面は車は車道中央を頂点に1.5パーセント、歩道は2パーセント[3]の横断勾配が付けられている。橋の照明は高欄照明を使用している。歩道は上流側のみに設置されている。

本橋梁は日本百名橋の1つに埼玉県では唯一選定され、土木学会田中賞を受賞している[9]。また、特定非営利活動法人シビルまちづくりステーション(旧称ITステーション市民と建設)による「関東地域の橋百選」に選出されている[10][11]。他にも埼玉県のぐるっと埼玉サイクルネットワーク構想に基づき策定された「自転車みどころスポットを巡るルート」の「秩父札所34カ所を回るルート」の経路に指定されている[12]
諸元

橋格 - 1等橋

構造形式 - 単径間鋼床版箱桁マルチ型ケーブル斜張橋
[8]

橋長 - 153.153メートル

支間長 - 152.000メートル

総幅員 - 11.5メートル

有効幅員 - 8.0メートル(車道)、2.0メートル(歩道)

総鋼重 - 863トン[13]

主塔の高さ - 40.0メートル

基礎 - 直接基礎

着工 - 1980年(昭和55年)

竣工 - 1985年(昭和60年)

開通 - 1985年(昭和60年)12月21日[14]

施工会社 - 日本鋼管[13](現、JFEエンジニアリング)、斎藤組[15]

管理者 - 埼玉県

歴史

秩父橋が架けられる以前は「簗場の渡し」(「寺尾の渡し」とも呼ばれる。)と呼ばれた[16][8]船一艘を有する私設の渡船場[17]が旧橋のやや上流側、現在の新橋の真下辺りに存在していた[16]。この渡船場がいつから存在していたかは定かではないが、付近に所在する岩之上堂に1742年寛保2年)の記録が残され、その文書に渡船について記されていることからその頃までには存在していたと考えられる。渡船の運営は岩之上堂が行ない、渡船料は通常は1人3文、増水時は8文から16文であった。児玉方面への経路であると共に秩父札所の19番から20番の経路にもなり、巡礼の渡し場としての渡し場の性格も有していた。冬場の減水期には長さ15間(約27.27メートル)の土橋の仮橋が1818年文政11年)頃より架けられていた[8][16]。この渡船場は秩父橋の開通により廃止された。
1885年の橋木鉄混合プラットトラス橋の初代秩父橋。

秩父新道(現在の埼玉県道44号秩父児玉線に相当)は秩父地方から郡外へ通じる初めての道路として1883年明治16年)に着工され、1886年(明治19年)4月に竣工している[18]。秩父橋はその秩父新道の建設の一環として最後に工事が残された区間に架けられたものである。

秩父事件で財政的に緊迫する時世であったが[19]、橋は1885年(明治18年)12月に竣工され、1886年(明治19年)1月16日に橋の開通式および渡り初め式が挙行された[20]。さらに1886年4月18日には秩父新道の開通式が行われた。橋の施工は斎藤組[15][21]が担当した。架橋に要した費用は3万円[22][注釈 1]であった。橋の高さは7丈2尺(約21.8メートル)あり[22]、橋長142.12メートル、幅員4.24メートル[23]、最大支間長36.4メートルの圧縮材に木材、引張材に鉄を用いた上路式の5径間木鉄混合プラットトラス橋[24][25]、2代目の旧秩父橋の30メートル上流側にあった[23]


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