秘教(ひきょう、英: esotericism、 仏: esoterisme)とは、第1に「秘伝的な」「奥義的な」「選ばれた少数者だけの」 (esoteric) と、第2に「深遠なこと」「難解なこと」との、2通りの意味を有する。英語の esotericism(仏語の esoterisme)は、ギリシア語の ?σω (エソー、「内部に」) を語幹とする ?σωτερικ?? (エソーテリコス、「より内部に関係する」) から生じたものである。対義語は、「公教的」「顕教的」「公開的」「通俗的」 (exoteric) である。
エソテリック(「秘教的」「秘伝的」「奥義的」)な知識とは、辞書的意味においては、「教化された」「賢明な」あるいは特別に教育された人々の狭いサークルにのみ入手可能な知識である。秘教的な事柄は "esoterica" とも呼ばれる。反対にエクソテリック(「公教的」「公開的」「通俗的」)な知識とは、よく知られている知識、つまり公(おおやけ)になっている知識であり、もしくはおおよそ社会一般に不文律的に了解されている知識である。 宗教学・思想史などの学術的文脈においては、エソテリシズムはグノーシス主義、ヘルメス主義、魔術、占星術、錬金術、薔薇十字思想 (Rosicrucianism)、ヤーコプ・ベーメとその追従者たちのキリスト教神智学、18世紀フランスで盛行したイリュミニスム
思想史上の秘教
日本では一般にエソテリシズムの語に秘教という訳語が当てられるが、密教と訳されることもある(たとえばユダヤ教の神知論であるカバラをユダヤ密教と呼ぶ場合がある)。一般に日本では密教という言葉は「秘密仏教」のことを指し、その英訳が Esoteric Buddhism である。 プラトンは対話編『アルキビアデス』(紀元前390年頃)において「内なるもの」を意味する ta eso (タ・エソー)という表現を使い、対話編『テアイテトス』(紀元前360年頃)では「外なるもの」の意味の ta ekso (タ・エクソー)を用いた。 ギリシャ語の形容詞 esoterikos (エソーテリコス)の最初の用例と思われるのは紀元166年頃に書かれたルキアノスの「命の競売」26章(「哲学諸派の売り立て」とも呼ばれる)にある。 「エソテリック」 (esoteric) という語の英語における初出は、1701年、トーマス・スタンリーによる『哲学史』での、ピュタゴラスの神秘主義学派についての記述である。その記述によればピュタゴラス教団は、教育中の exoteric (外の人)と、「内部の」サークルの中に入ることを許される esoteric (内の人)に分けられていた。フランス語における形容詞のエゾテリック(esoterique)に対応する名詞「エゾテリスム」 (esoterisme) は、ジャック・マテール (Jacques Matter) が1828年に造語したもので[2]、エリファス・レヴィが1850年代にこれを用いたことにより普及した[3]。その英語形「エソテリシズム」 (esotericism) は、1880年代に神智学者アルフレッド・シネット (Alfred Percy Sinnett 学問的意味でのエソテリシズム、すなわち「秘教」という言葉が指し示す種々の諸潮流を一元化するものは何であるかということに関しては争いがあり、様々な見解があるが、中でも最も影響力のある見解はけだしアントワーヌ・フェーヴル
語の起源
含意
照応(コレスポンダンス)の理論
自然が生きている全体であるという信念
想像力と媒体 - 霊的な知識に接するために(シンボルあるいはビジョンのような)要素を媒体としようとするような想像力。
この知識に到達するときの個人的な変成(トランスミュタシオン、Transmutation)の感覚
これに2つのこれほど決定的でない特徴が加えられる。
和協(コンコルダンス)の実践 - 異なった伝統の間に一致する共通要素があることを示し、より良い知識を獲得しようとする動き。
伝授の重要性の強調 - 秘教はしばしばイニシエーションの要素を付け加え、伝授された知識こそ有効で、それには導き手が必要であると考える。
しかしながらフェーヴルの定義も、言葉の最適な用法についていくつかある多様な見解のひとつである、ということは強調しておかねばならない。
脚注^ アントワーヌ・フェーブル「オカルティズムとは何か」『エリアーデ・オカルト事典』 13-14頁
^ 竹下節子 『無神論 - 二千年の混沌と相克を超えて』 中央公論新社、2010年、124頁。
^ ミルチャ・エリアーデ主編 『エリアーデ・オカルト事典』 pp. 75?76 (アントワーヌ・フェーヴル「エソテリシズム」)
^ 『エゾテリスム思想』、17-25頁。