秘境冒険小説(ひきょうぼうけんしょうせつ)、秘境探検小説(ひきょうたんけん小説)は、秘境を舞台にした冒険小説であり、文明から時間的・場所的に隔絶された新たな世界を発見することをプロット上の要とする。失われた世界(ロスト・ワールド、英: Lost World)とも呼ばれ、ファンタジーやサイエンス・フィクションの作品も含まれる。ヴィクトリア朝後期の騎士道物語のサブジャンルとして始まり、その後も人気が続いている。
このジャンルが生まれたのは、エジプトの王家の谷の多数の墓、半ば神話と思われていたトロイの要塞、ジャングルに囲まれたマヤのピラミッド、アッシリア帝国の都市など、世界中で失われた文明の魅力的な名残が発見されていた時代である。したがって、ヴィクトリア朝の冒険家が考古学的発見をしたという現実の物語が大衆の想像力を捕らえることに成功した。1871年から第一次世界大戦までの間に、様々な大陸を舞台にしたロストワールドものの出版数は劇的に増加した[1]。似たようなテーマとして、エル・ドラードのような「伝説の王国」もある。 19世紀イギリスでは、スエズ運河の開通や、アルプス山脈のモン・スニー・トンネル開通などの交通網の発達により観光の人気が高まり、またリヴィングストンによるアフリカ大陸探検や、リヒトホーフェンの中国地質調査といった地理学上の発見、北極・南極探検などへの関心が、ロンドン万国博(1851年)の影響もあって高まりつつあった[2]。その中で人気を集めたL.R.スティーヴンソン『宝島』(1883年)に影響を受けて、ヘンリー・ライダー・ハガードが書いたアフリカ奥地を舞台にした冒険小説『ソロモン王の洞窟』(1885年) が、秘境冒険小説の起源とされることがある[3]。ハガードは続いて、同じアラン・クォーターメンを主人公とするシリーズや、中央アフリカで不死の女王に出会う『洞窟の女王』などを発表した。 フランスではジュール・ベルヌ『気球に乗って五週間』(1863年)や、『地底旅行』(1864年)など科学の可能性を強調した冒険小説に人気があった[4]。ピエール・ブノア『アトランティード』(1919年)もハガードのスタイルの作品とされる[5]。ドイツではカール・マイが1876年から近東、南米、北米、東洋などを舞台にした異国趣味溢れる冒険小説を数多く書いて、国民作家と呼ばれるほどの人気となった[2]。『失われた世界』(1912年) の挿絵
歴史と作品ヘンリー・ライダー・ハガード
発生と広がり