科学的方法(かがくてきほうほう、英: scientific method)は、知識を獲得するための経験的方法である。科学的手法、科学的検証などとも呼ばれている。 科学的方法とは、断片化された散在している雑情報あるいは、「新たに実験や観測をする必要がある未解明な対象」に関連性、法則を見出し、立証するための体系的方法である。 「科学的」という言葉についての辞書的定義として、国語辞典(デジタル大辞泉)には以下のように記載されている[1]。 「すべてのアメリカ人のための科学」では、調査、論証、あるいはそれらの手法が、科学的であるために必要な要件として、証拠、推論過程、結論に関するいくつかの特徴、及び調査手段におけるいくつかの特徴(仮説?検証型 等)に関して、ある程度の共通理解が存在する、とされた[2]。 しかしながら科学的方法に関する具体的な指針については、さまざまな時代の、様々な者が発言を行っている。「発言者の立場」に基づいて大別すると、科学者、技術者などの科学サイドの人間によるものと、哲学者、社会学者、教育学者等の社会的サイドの人間によるものがあり、概して両者の間には温度差がある[3]。 科学が満たす「一定の基準とはそもそも何か」という問題は諸論があるが、大まかにいえば、その推論過程において「適切な証拠から、適切な推論過程によって推論されていること」[4]、「仮説検証型」[4]の調査プロセスが要求される。また、扱う対象が、測定、定量化が可能であることが望まれることも多い。 放送大学の濱田嘉昭 明瞭判明の規則明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。 これは17世紀に提示されたものであるが「現在でも研究論文を書きあげる指針として十分光を放つものである」という。 「科学的方法」についての言及は、さまざまなものがある[注釈 1]。 2009年の『高等学校学習指導要領解説理科編』119頁には、「理科課題研究の目的」として、以下のような解説がなされている[7]。「科学に関する課題を設定し」とあるのは,自然や科学技術に関して観察,実験などの探究的な活動を通じて習得した探究の方法を用いることにより解決できる課題を設定することを示している。「観察,実験などを通して研究を行い」とあるのは,仮説の設定,実験の計画,実験による検証,実験データの分析・解釈,推論など探究の方法にしたがって研究を進めることを示している。「科学的に探究する能力と態度を育てる」とあるのは,探究の方法を用いて研究を行う過程で,設定した課題を科学的に解決する方法を見いだす能力と態度を育成することを示している。「創造性の基礎を培う」とあるのは,研究の実施や報告書の作成を通して,研究においては独自性が重要であることに気付かせ,創造的な思考力を養うことを示している。そのためには,文献等の調査,研究に必要な器具や装置の製作などについて,適切な助言が必要である。 上記の「探究の方法」、「科学的に探究する能力と態度」等の要件定義から、科学的な方法(「探究」)の特徴に関する規定がある程度読み取れる。 世界各国を見渡すと[8]、一つとしてアメリカ科学振興協会が1989年に提出した報告書、「すべてのアメリカ人の科学」[2][注釈 2]がある。 「すべてのアメリカ人の科学」(SFAA)は、草記、審査、承認に関して、さまざまな領域から、世界的に権威を認められた者が多数関わっている点に特徴がある[2]。F. James Rutherford
科学的方法の意味と概略
考え方や行動のしかたが、論理的、実証的で、系統立っているさま。
特に自然科学の方法に合っているさま。
古典的な基本
要素分解解決可能な要素に分解して考察する。
具体から抽象へ単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
総合見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。
現代における科学的な方法
同文書などでは、「科学的な方法の特徴は、論証過程と調査プロセスに顕著に認められる」とした[2][注釈 3]記述がみられる。論証過程においては、以下のような記述がある。
基本的なことを言えば、様々な科学的学問は次のような点では似通っている。すなわち、証拠に依拠していること、仮説と理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類、である[9][10]。とは言うものの、科学全てが同一の特徴を有しているというわけではなく、異なる点も多々ある[9][10]。たとえば科学者ごとに、研究する現象、活動に取り組む姿勢、歴史的データを用いるか実験的発見を用いるのか、手法が定性的なのか定量的なのか、基本原理への依拠の程度、他の科学の所見をどの程度重視するか、などの点では大きく異なっている[9][10]。
上記の記述において、「証拠に依拠していること、仮説と理論を使用しているということ、また用いられる論理の種類に共通性があること」が、科学的学問の間で、特に類似性の高い部分としている[10]。
また、一般に、論理の妥当性に関しては以下の点が必要である[4]。
「適切な証拠への依存」
「明確な結論の存在」
「証拠と結論を結ぶ適切な推論過程の存在」
これらについて、以下のような記述が本文[10]に記載されている(下線は本記事の執筆者による)。
科学は証拠を要求する遅かれ早かれ,科学的主張の妥当性は現象を観察することで解決される。したがって,科学者は正確なデータを収集することに努力する。
仮説や理論の形成にはあらゆる種類の想像力や思考力が利用されるが,遅かれ早かれ,どのような科学的主張であっても論理的推論の原則に合致しなければならない。すなわち、推論,実証,常識に関する一定規準を適用することで,主張の有効性は試されなければならないのである。科学者は,しばしば特定の証拠の価値や特定の想定の妥当性について見解が異なるため,正当化すべき結論に関する見解が異なることがある。しかし,証拠と想定を結論に結びつけるための論理的推論の原則については,科学者の見解は一致する傾向にある。
これに加え、以下のようなことも述べている。
論理と証拠に関する詳細な調査は必要なものではあるが,これだけでは科学の発展にとって十分ではない。科学的概念は,データや実施された多くの分析から自動的に発生するわけではない。
調査プロセスにおいても、いくつかの免責事項がつくが、以下のような記述がある。
科学者が常に従っているような決まった一連の手順などというものは無い[9][10]。また、“誤ることなく科学的知識に導いてくれる単一の道筋”などというものも無い[9][10]。それでも科学には、探究モデルとして他とは異なった性質をもたらしているような、何らかの特徴がある[9][10]。
現代の科学的な方法においては、一つの現象を説明する場合に、「なぜそうなるのか」という哲学的な問題は棚上し、「その現象がどのようにふるまうのか」に着眼する傾向がある[11]とファインマンは指摘した。この意味で、科学的な方法においては結論の提示は現実の物理現象、社会現象などを定性的/定量的に説明する具体的なモデル[12]を提示する形で行われる傾向がある[5]。
また、多くの科学的理論の成否は実験によって判定されるが、理論の成否は「シロ」か「クロ」というような幼稚な二元論で判定されるのではなく、信頼性や有意性、当てはまりのよさといった統計的な尺度で良し悪しを判定され、その値は良し悪しはスペクトラム状(無段階、連続的)に広がっている。