秋葉原
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この項目では、地域について説明しています。

台東区の地名については「#秋葉原(町丁)」をご覧ください。

企業については「秋葉原 (企業)」をご覧ください。

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早朝の秋葉原電気街秋葉原クロスフィールド
秋葉原ダイビル(左)と秋葉原UDX(右)JR秋葉原駅電気街口万世橋交差点(2013年7月21日夜の秋葉原(2015年4月13日外国観光客に人気のストリートカート

秋葉原(あきはばら)は、東京都千代田区秋葉原駅周辺、主として東京都千代田区外神田神田佐久間町および台東区秋葉原周辺を指す地域名である。
概要

第二次世界大戦後の日本において、秋葉原は闇市として発展した。その後、高度経済成長とともに多様な電子機器部品ハードウェア)およびソフトウェアを取り扱う店舗などが建ち並ぶ日本一の電気街として発展した。その後、バブル崩壊や、大型家電量販店ディスカウントストアの台頭などによる家電市場の衰退で、電器店は主力商品をパソコンに移していく。これにより、パソコンを好むマニアが集中し、秋葉原は一転、オタクの街として変貌を遂げた。2000年代には『電車男』に代表されるアキバ系ブームより、オタクの街としてのイメージは全国的に定着し、世界的な観光地としても注目された。秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称で呼ばれる。2010年代以降はECサイトの普及と地価上昇などでオタク向けの小売店が軒並み閉店し、代わって大資本によるコンセプトカフェが進出した。また、2000年代東京都が秋葉原地区開発計画(土地区画整理事業)による再開発事業秋葉原クロスフィールド」を推し進めて秋葉原UDX秋葉原ダイビル等の超高層ビルが建設され、一般的なオフィス街になりつつある。

一方、秋葉原駅の北西側一帯には、かつて神田青果市場(ヤッチャバ)があったため、近隣には現在でも海藻や穀類などを扱う商店が点在し、当時の名残を留めている。
地理

本項で扱う「秋葉原」の明確な定義はないが、東京都が策定した都心等拠点地区における「秋葉原地区」の範囲は、次の通りである[1]

範囲秋葉原中央通り交差点[注釈 1]中央通り+神田明神通り)を中心に

北端:蔵前橋通り

東端:昭和通り

南端:神田川

西端:昌平橋通り



含まれる行政地名

外神田一丁目(そとかんだ)

外神田三丁目

外神田四丁目

神田佐久間町一丁目(かんだ さくまちょう)

神田花岡町(かんだ はなおかちょう)

神田相生町(かんだ あいおいちょう)

神田練塀町(かんだ ねりべいちょう)

神田松永町(かんだ まつながちょう)

秋葉原(あきはばら) - 台東区

秋葉原電気街とサブカルチャー関連の店舗は主に秋葉原駅周辺および中央通り万世橋北詰から末広町駅のある外神田五丁目交差点までを中心に広がっている。

元々江戸町人地であり、秋葉原電気街の外側は主にオフィス街だが、古くから建っている民家も見ることができる。鉄道各線の駅が近く、都心の一等地として地価・家賃ともに高価になる傾向がある。

昭和通りから東側の地域は、都心等拠点地区における秋葉原地区の範囲に含まれないが、神田佐久間町、神田平河町神田佐久間河岸神田和泉町、神田松永町、神田練塀町、東神田三丁目の各町会は「秋葉原東部町会連合会」を組織して各種行事に参加しているほか[3]神田祭では「秋葉原東部地区連合」として神輿宮入を行っている[4]
歴史
前史

現在の秋葉原に当たる地域は、徳川家康江戸入府後、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の時代に神田川が現在の流路を通るように開削されると、川沿いに材木商が集まり、神田佐久間町が起立したほか、大部分は大名屋敷・旗本屋敷などで占められた。しかし、江戸の人口が拡大するにつれ、大名旗本大火等を契機に次々に郊外へ移転し、跡地には町民が代地として与えられるなどして町人地が拡大していった。

江戸時代、神田川に万世橋はなく、筋違橋(すじかいばし)と呼ばれる橋がやや上流に架かっており、街道はここから現在のコトブキヤ秋葉原館やAKIBAカルチャーズZONEのある道(現:特別区道千第678号)を通って、住友不動産秋葉原ビルに突き当たって右に折れ、中央通りに出るルートをとっていた[5]。この道は徳川将軍家寛永寺参詣道であったことから下谷御成街道と呼ばれた。総武本線ガードの名称である御成街道架道橋に名残を留める。

大火の度に代地町が細切りに与えられ、町の付け替えも頻繁に行われたため、幕末には50近くの微細な町が複雑に入り組み、かつ方々に飛地を有する複雑な町割となっていたが、明治の初めに武家地を合わせて20町近くに整理された。詳しくは外神田を参照。
「秋葉原」の誕生

1870年1月(明治2年12月)の大火を受けてできた火除地空地)に、明治天皇の勅命で1870年(明治3年)10月に宮城江戸城)内の紅葉山から鎮火三神を勧請して「鎮火社」が創建された。しかし、江戸の街では火防の神として神仏混淆秋葉権現が広く信仰を集めていたことから、鎮火社についても秋葉権現が祀られているものと人々が誤解して「秋葉社」「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火除地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことで、「秋葉原」の地名が誕生した。神田筋違見附(万世橋付近)やこの空地にはヒラキが立ち並び、今の講談浪曲かっぽれなどが口演をしていたり[6]、時にはサーカス(チャリネ一座の公演)が開かれたりした。

当初、秋葉原はこの空地に相当する神田花岡町域のみを指していたが、秋葉原駅が開業し、旅客駅として利用されるにつれ、その指す範囲も拡大して現在に至る。

鎮火社は1888年(明治21年)に日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って東京府下谷入町(台東区松が谷三丁目)に遷宮して、秋葉神社となった。

「台東区秋葉原」の地名は、1964年昭和39年)10月1日住居表示施行時に「台東区下谷松永町」と「台東区下谷練塀町」から変更されたものである。
電気街の形成

電気街の形成には、二つの要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現・東京電機大学)の学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大盛況となり、ラジオ部品を供給する電器関係の露天商が集中したことである。ところが1949年に、GHQが道路の拡幅整理のために露店撤廃令を施行したことで、闇市は危機に陥る。GHQの政策に対して露天商組合が陳情した結果、東京都と国鉄が秋葉原駅のガード下に代替地を提供するという措置がとられる。そして露天商がそこへ凝集されたことが秋葉原電気街の始まりとされる。もう一つの要因は、廣瀬無線電機などの小売業者や二次卸し店がが仕入れの目的で多く訪れたことである。その結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点ということもあって、一般客も集まるようになっていった[7]

その後は「三種の神器」に代表される戦後の家電ブームに後押しされ、1970年代には全国の家電市場の1割を1平方キロメートルに満たない領域で担う日本一の電気街に成長した[8]
電気街からオタクの街へ

1980年代末頃から、バブルの崩壊とともに台頭するコジマなどの家電量販店ディスカウントストアに秋葉原は家電市場を徐々に奪われていく[9]。北関東地方を中心に北関東YKKの量販店大手三社が着々と増えていった。

家電市場の衰退とともに電器店は主力商品をパソコンに移していく。1990年に六階建てのビル全体をコンピュータ関連商品に充てた大型専門店ラオックス・ザ・コンピュータ館がオープンしたことが一つのターニングポイントとなった。以降、他の大型店もチェーン店を専門分化させ、これに伴い若い男性のパソコンマニアたちが家電を買いに来る家族連れに取って代わって秋葉原の中心的客層となった[10]

1995年から96年にかけて放映されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットが引き金となり、97年以降、海洋堂など多くのガレージキット店が秋葉原の一等地へ移転し、予想を超える売り上げをたたき出したことで、雪崩を打ったように同業の専門店が競って進出した[11]。またAKB48の劇場も2005年に営業を開始し、アキバ系アイドルブームの嚆矢となった。
オタクの街から観光地・オフィス街へ

21世紀には区画整理により秋葉原駅を中心に多くの複合ビルが建設され、観光地やオフィス街に変化を遂げており、老若男女国外問わず訪れる街になった。秋葉原の一般化が進むにつれて、かつてオタクが通い詰めたアンダーグラウンドな店は軒並み閉店し、一般客や観光客向けのカジュアルな店が数多く並ぶようになっているが、同時期の地価上昇と東京都が推し進めたオフィス街化により、一般人が立ち寄れる店舗自体が減少している。ECサイトの普及で部品やグッズのために外出する必要が無くなったことも、秋葉原の小売店の減少に対してかなり大きく影響を与えている。

小規模営業店の集合体による、グレーゾーンでシステム化され切らない不完全さ[注釈 2]が様々な解釈の余地を残し、客にも深い知識を求められる反面アンダーグラウンドな魅力にも繋がっていた秋葉原において、大資本が経営する分かりやすく画一的な店(特に大手家電量販店ステレオタイプ萌えを提供するメイドカフェ等)が乱立し、小規模営業店が老朽化した施設の建て替えと物件価格の高騰などにより軒並み撤退してしまったため、もはや秋葉原は文化的に形骸化したと見る向きもある[12]


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