秋竜山
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秋山龍とは異なります。

秋 竜山
本名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}秋山(あきやま) 好文(よしふみ)[1][2][3]
生誕 (1942-03-13) 1942年3月13日[4]
日本静岡県伊東市
死没 (2023-03-06) 2023年3月6日(80歳没)
日本神奈川県相模原市
職業漫画家
活動期間1966年 - 2023年
ジャンルナンセンス漫画
一コマ漫画
受賞#受賞歴参照
公式サイト秋竜山マンガ館
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秋 竜山(あき りゅうざん、1942年3月13日[4] - 2023年3月6日)は、日本の漫画家。本名:秋山 好文(あきやま よしふみ)[1][2][4][3]
略歴

1942年、静岡県田方郡対島村(のちの伊東市赤沢地区[5])の「半農半漁[1]」の家に長男として生まれた。農作業や漁を手伝いながら、観光バス駐車場のゴミ捨て場に捨てられた新聞、雑誌、小説本を拾って物語の世界に親しみ、漫画家を強く志す[1]が、当時の風習上、長男が家業を継ぐ以外の進路を取ることは困難だったため、夢を一時断念し、伊東市立対島中学校卒業後、村の若者組に入って漁の技術を学び[1]ブリの定置網漁[5]に従事する。

ブリの不漁のために赤沢を離れ、出稼ぎの網子となったのを期に、空き時間を利用して雑誌への漫画投稿を開始。ペンネームはが好きだったことから、本名の名字「秋山」の2字の間に竜を入れて「秋竜山」とした[1]。出稼ぎの漁場も減少していたことから、故郷近くの郵便局に就職し、電報の受付、電話交換、各種の事務などに従事しつつ、投稿活動を続けた[1]。投稿家としては突出した分量だったとされ、『週刊漫画サンデー』編集長だった峯島正行は「毎週、部厚い〔ママ〕原稿を(略)小包にして」「一年以上もつづいた」「山となった小包の処分にまこと困った」と回想している。

1965年に『別冊週刊漫画TIMES』に投稿した作品が掲載されたのを機に、プロ漫画家になることを決意し、翌1966年に郵便局を退職し、上京[4][6][7]。1969年から『週刊漫画サンデー』に連載した『Oh★ジャリーズ』で人気を得て、少年向け、大人向け両方の媒体でギャグ作品を手掛けるようになった[1]。1969年頃より、神奈川県相模原市に在住[7]

2023年3月6日、肺炎による心不全のため、相模原市の病院で死去[3][8]。80歳没。
受賞歴

1971年 第16回
小学館漫画賞 - 『ギャグおじさん』『親バカ天国』[4][6][9][10]

1975年 第21回文芸春秋漫画賞 - 『Oh★ジャリーズ』『ノッホホン氏』[4][6][9]

1988年 第17回日本漫画家協会賞選考委員特別賞 - 『福祉マンガ・みんないいひと』[6][9][4][11]

2006年 第35回日本漫画家協会賞大賞 - 『秋竜山マンガ通信』[6][9][4][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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