秋田県立秋田西高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度48分54秒 東経140度2分29秒 / 北緯39.81500度 東経140.04139度 / 39.81500; 140.04139
秋田県立秋田西高等学校(あきたけんりつ あきたにしこうとうがっこう)は、秋田県潟上市(旧南秋田郡天王町)に所在する公立の高等学校。校訓は「豊かな心」「調和の姿」「創造の道」。校章は秋田蕗に三本のペンを配置したもの。
設置学科
普通科
2年次より文系・理系に分かれ、文系はさらに3年次で就職・専門学校志望を中心とした文Tと大学進学を中心とした文Uに分かれる。 昭和50年代前半、ベビーブーム世代の高校入学を控え秋田県では、新設高校の設置が複数なされた。その中でも目玉とされていたのが秋田西高校である。当時、秋田市を中心とする中央学区では受験生の増加による、受験倍率の高さから新設高校の設置が課題となっていた。その際、設置される高校名は原則として、高校が所在する自治体名を使用する方針を県側は示していたが、秋田市内の進学校と同レベルの進学校の設置を目指していたため、潟上市(旧天王町)に設置するにもかかわらず校名を秋田西高校とすることで地元に説明し反発を受けるが、最終的には秋田西高校で決定に至った。そのため、開校時は結果も必要とされ、第1期生を始め草創期の進学実績は相当なものであり秋田県内では伝説的進学実績といえる結果を残している。これについては、当時の学校報でも他校から「脅威だ」と呼ばれた話が記載されている。現在では、県内では進学12校に数えられる[1]。
沿革
設置における経緯
年表
1978年12月
1979年 (昭和54年) 4月開校予定の新設高校設立準備事務局を高校教育課内に設置
県条例第46号により南秋田郡天王町天王字追分西26番地の1に秋田県立秋田西高等学校設置を公示
県教育委員会公告により生徒募集を公示 (第1学年・普通科8学級・定員368名)
1979年1月
秋田西高等学校設立準備事務室を秋田高等学校内に移転
1979年2月
「校章」制定
1979年3月
入学者選抜学力検査(3教科)を秋田高等学校内で実施(志願者657名、1.79倍、受験者628名)(合格者391名、 男215名、女176名、 8学級)
校舎第1期工事 (本校舎、体育館) 完成。
1979年4月
初代校長佐藤利一郎以下職員29名、校医5名発令。
第1回入学式を秋田西高等学校体育館において挙行。
1979年5月
PTA設立総会を開催。
1979年7月
「校旗」樹立式を挙行。
開校式を挙行。
1979年12月
部活動後援会設立総会を開催。
1980年3月
「校歌」制定。
1980年4月
研修会館完成。
1980年5月
陸上競技場、野球場完成。
1980年9月
テニスコート完成。