秋田新幹線
[Wikipedia|▼Menu]

秋田新幹線
奥羽本線区間を走行するE6系
基本情報
日本
所在地東京都埼玉県茨城県[注 1]栃木県[注 2]福島県[注 2]宮城県岩手県秋田県
起点東京駅[1][2]
終点秋田駅
駅数東北新幹線 5駅[注 3](「こまち」が1日に2往復以上停車する駅の数)
在来線 5駅(同上、盛岡駅除く)
経由路線東北新幹線田沢湖線奥羽本線
開業1997年3月22日
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線諸元
路線距離662.6 km(うち東北新幹線535.3 km、在来線127.3 km)
軌間1,435 mm
線路数複線(東北新幹線東京駅 - 盛岡駅間と奥羽本線神宮寺駅 - 峰吉川駅間)
単線(田沢湖線全線と奥羽本線大曲駅 - 神宮寺駅間・峰吉川駅 - 秋田駅間)
電化方式交流25,000 V・50 Hz (東京駅 - 盛岡駅間)
交流20,000 V・50 Hz (盛岡駅 - 秋田駅間)
ともに架空電車線方式
最高速度130 km/h(東京駅 - 大宮駅間)
275 km/h(大宮駅 - 宇都宮駅間)
320 km/h(宇都宮駅 - 盛岡駅間)
130 km/h(盛岡駅 - 秋田駅間)

路線図

※青線は在来線直通区間

テンプレートを表示

秋田新幹線(あきたしんかんせん)は、東京都東京駅から岩手県盛岡駅を経て秋田県秋田駅まで東北新幹線田沢湖線奥羽本線を直通して走行する東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線車両を使用した列車の通称およびその列車が走行する同区間の通称である[1][2]ラインカラーピンク(■)[注 4]

東京駅から盛岡駅までは東北新幹線、盛岡駅から大曲駅までは田沢湖線、大曲駅から秋田駅までは奥羽本線を走行する。

東京駅 - 盛岡駅間は東北新幹線であるとして、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}狭義には在来線区間となる田沢湖線及び奥羽本線の区間である盛岡駅 - 大曲駅 - 秋田駅間を秋田新幹線とすることもある[要出典]。以下、特記なき場合は直通運転系統としての秋田新幹線について記述する。
概要

1997年(平成9年)、全国新幹線鉄道整備法に基づかない新在直通方式のミニ新幹線として開業した。ミニ新幹線としては1992年(平成4年)の山形新幹線に次ぐ開業である。同法では「主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」[3]新幹線と定義しており、法律上は、盛岡駅 - 秋田駅間はあくまで在来線であって新幹線ではない。

東京駅 - 盛岡駅間の東北新幹線は最高速度320 km/hで運行されるが、盛岡駅 - 大曲駅 - 秋田駅間は在来線であるため最高速度は130 km/hにとどまる。全列車が新在直通用車両のE6系を使用して「こまち」として運行され、東京駅 - 盛岡駅間はE5系の「はやぶさ」と連結して運行される。

在来線区間の大半が、秋田新幹線の名称の通り秋田県内であり、北東北を横断するような線形である。奥羽山脈を越えるためトンネルや曲線区間が多く、この区間での最高速度は在来線と同程度にとどまる。また配線の都合により大曲駅スイッチバックを行うため、列車の進行方向が前後逆になる。
歴史

1984年昭和59年)10月に秋田県は東北新幹線の開業後、首都圏への連絡経路として田沢湖線の比重が増したことから、東北経済連合会と共同で、「新幹線接続在来線の速度向上に関する調査」を日本鉄道施設協会に委託し、田沢湖線の高速化について調査を開始した[4][新聞 1]。翌年に調査結果はまとまり、県はそれを叩き台として国鉄のほか関係当局等と非公式協議を断続的に重ね、1986年3月に県が策定した「県総合発展計画後期計画」においてミニ新幹線の整備が重点課題として定められた。

1987年4月の秋田県知事選で3選を遂げた佐々木喜久治は、初登庁後の県職員に対する挨拶で、立ち遅れていた県内の社会資本等の整備を進めるため、田沢湖線のミニ新幹線化、高規格幹線道路の建設、八幡平阿仁田沢湖地域での大規模リゾート整備の3プロジェクトを3期目の3大公約として掲げた[4][新聞 1][注 5]。また、同年6月11日に山之内秀一郎JR東日本副社長が就任あいさつのため秋田県庁を訪れた際には、県幹部との会談で田沢湖線のミニ新幹線化について構想具体化のため協力していくことで一致し、同年6月19日には県の主導で「秋田・盛岡間在来線高速化推進委員会」が設けられた[5]

しかし、同年7月に運輸省、学識経験者、JR東日本などによって組織された「新幹線・在来線直通運転調査委員会」がミニ新幹線のモデル線区として奥羽本線福島駅 - 山形駅間を正式に決定した[6]。 山形と共闘しミニ新幹線事業を在来線活性化事業として位置付け、運輸省等に水面下で働きかけていた秋田県側ではこの決定に落胆し、山形に抜け駆けされたと思う県民が多かった[4]。ミニ新幹線のモデル線区として山形側が選定されたことを受け、同年7月13日、秋田市で開催されていた「県高速交通体系整備促進協議会」の総会の席上、高田景次秋田市長から緊急動議が提出され、同協議会のメンバー構成で、田沢湖線のミニ新幹線化を推進する「秋田・盛岡間在来線高速化早期実現期成同盟会」(会長 佐々木知事)が発足した。以後、期成同盟会がミニ新幹線の実現のため運動母体となった[5]

1990年8月24日、運輸省は翌年度予算編成において、田沢湖線と奥羽本線のミニ新幹線事業費を概算要求に組み入れることを決定し、これに合わせ同年9月にJR東日本は東北新幹線と田沢湖線の直通運転の技術を検討するチームを発足させた[新聞 1]。そして同年12月28日の大臣折衝において運輸省が財源捻出の手段として求めていた鉄道整備基金からの無利子貸付制度の復活が認められたことによって、秋田新幹線は着工の目処が立った[7]

秋田新幹線開業にかかる事業費は966億円で、内訳は車両に310億円、地上施設の整備に656億円(施設工事費598億円と老朽部取り替え58億円)だった[新聞 3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:156 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef