秋田弁
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秋田県の位置。平成の大合併後の秋田県の市町村。橙色は市、緑色は町、紫色は村。薄い線は市町村境界。濃い線は郡境界または旧郡境界。1:秋田市 2:能代市 3:横手市 4:大館市 5:男鹿市 6:湯沢市 7:鹿角市 8:由利本荘市 9:潟上市 10:大仙市 11:北秋田市 12:にかほ市 13:仙北市平成の大合併前の秋田県の市町村。1:秋田市 2:能代市 3:横手市 4:大館市 5:本荘市 6:男鹿市 7:湯沢市 8:大曲市 9:鹿角市

秋田弁(あきたべん)は、日本秋田県で用いられている日本語の方言である。方言学では秋田方言(あきたほうげん)と呼ばれる。このページでは方言学的な文脈では秋田方言という名称を使用する。
区画
日本語方言内での位置付け日本語の方言区分の一例。

日本語方言の区画は方言区画論と呼ばれ、多くの方言学者により区画が発表されているが、大半の区画は東条操の案に近く、一般にも東条案に近いものが広く用いられている。日本語の方言の中では秋田方言は本土方言の中の東日本方言に、さらに東日本方言の中の東北方言に含まれる。東北方言は北奥羽方言(北奥方言)と南奥羽方言(南奥方言)に分けられる。秋田方言は青森県岩手県中北部(旧南部藩地域)、山形県沿岸部(庄内地方)、新潟県阿賀北地域阿賀野川以北)の方言とともに北奥羽方言に含められる。金田一春彦による案は、他の案と大きく異なり、近畿地方を中心として同心円状に内輪方言、中輪方言、外輪方言、南島方言と区画したものである。この区画は、近畿や四国などが音韻やアクセントの面で保守的であり、そこから離れるほど新しい変化が多いとしたものであるが、この区画では秋田方言は外輪方言に含められている[1]秋田方言の下位区分。由利・庄内・北越方言圏。
秋田方言内の区画

秋田方言(秋田弁)は近隣の他県(青森県、山形県、岩手県など)の方言に比べると県内共通の特徴を持っていると認められるが[2]、それでも例えば秋田県の北東端の鹿角地方と南西端の由利地方とでは明らかな地域差が認められる。

秋田方言の内部の区画としては、まず秋田県を南北に三分割して、「北部方言」「中央方言」「南部方言」を立てるものがある。このうち北部方言は鹿角地方、北秋田地方、山本地方の領域であり、中央方言は南秋田地方、河辺地方、南部方言は仙北地方、平鹿地方、雄勝地方、由利地方を含む範囲である。

鹿角地方と由利地方を独立させ、北部方言を鹿角方言と県北方言に、南部方言を県南方言と由利方言に分ける区画もある。鹿角地域は江戸時代には南部藩(盛岡藩)に属し、現在も語彙や文法などに旧南部藩領特有の表現が存在している。由利地方も亀田藩本荘藩矢島藩といった小藩が分立していた地域で、南に隣接する庄内方言との関係が深い。このように歴史を反映した言語の違いが見られる地域であり、方言の話し手の帰属意識などから見ても、これらの地域を独立させて扱うことができる。

由利方言の南に隣接する山形県沿岸部の庄内方言は、山形県内陸部の方言と様々な面でかなり異なって北奥羽方言的な色合いが濃く、秋田県の方言に連なる特徴が多い。この庄内方言と、さらに新潟県阿賀北地域の北越方言とを合わせて、「由利・庄内・北越方言圏」と呼ぶことがある。これは、東北方言的な発音が強く見られるにもかかわらず、他地域の東北方言で極めて使用頻度が高い推量・意思の「-ンベ」が全く現れず、推量と意思で別の表現(「-デロ」[3])を用いることや、秋田県や山形県の他地域で広く発達している聞き手尊敬の「-シ」(「-ス」)がほとんど用いられないことなどの特異性があるためである[4]

河川の流域から、鹿角方言と県北方言の地域を米代川流域方言、中央方言と県南方言を雄物川流域方言、由利方言を子吉川流域方言とする区分もある。また少数ながら、一部の語彙や語法に関して、海岸地帯と内陸地帯で違いが見られる場合もある。

以上の区画と、平成の大合併前後の自治体との対応関係を整理して示すと以下のようになる[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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