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出典検索?: "秋田俊季"
凡例秋田 俊季
時代江戸時代前期
生誕慶長3年(1598年)
死没慶安2年1月3日(1649年2月14日)
別名藤太郎、安東太郎(通称)
戒名真如院殿実岩常固大居士
墓所福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位従五位下、河内守、伊豆守
幕府江戸幕府
藩常陸宍戸藩主→陸奥三春藩主
氏族秋田氏
父母父:秋田実季、母:円光院(細川昭元の娘)
兄弟俊季、季次、季信、季長、季則、女子(荒木高綱室)、女子(津軽信建正室)
妻正室:永寿院(松平信吉の娘)
子盛季、季久(次男)、娘(新庄直長正室)、娘(植村忠朝正室)
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秋田 俊季(あきた としすえ)は、江戸時代前期の大名。常陸宍戸藩主、のち陸奥三春藩主。秋田家第3代当主。 慶長3年(1598年)、出羽国の戦国大名・秋田実季の長男として生まれる。 慶長19年(1614年)からの大坂の陣では、江戸幕府軍の一員として出陣した。その後も幕府による普請手伝い、3代将軍・徳川家光の上洛随行など、幕府に忠勤を尽くした。しかし、父・実季とは次第に不仲になり、寛永7年(1630年)に父が失脚すると、幕命により秋田氏の家督を継承し、常陸宍戸藩2代藩主となった。 正保2年(1645年)、陸奥三春に5万5000石で移封された。慶安2年(1649年)1月3日、勤番中の大坂城で、父に先立って病死した。享年52。長男の盛季が跡を継いだ。 正室 子女
生涯
系譜
永寿院 ー 松平信吉の娘
秋田盛季(長男)生母は永寿院(正室)
秋田季久
新庄直長
植村忠朝正室
先代
秋田実季秋田氏第3代当主
1631年 - 1649年次代
秋田盛季
表
話
編
歴
秋田氏常陸宍戸藩2代藩主 (1631年 - 1645年)
秋田家
秋田実季1602-1630
秋田俊季1631-1645
陸奥三春藩に転封
1645年から1682年まで幕府直轄・水戸藩領
宍戸松平家
松平頼雄1682-1697
松平頼道1697-1721
松平頼慶1721-1742
松平頼多1742-1766
松平頼救1766-1802
松平頼敬1802-1807
松平頼?1807-1839
松平頼位1839-1846
松平頼徳1846-1864
天狗党の乱の鎮圧失敗を咎められ切腹。廃藩。
1864年から1868年まで幕府直轄
宍戸松平家
松平頼位1868-1871
廃藩置県