秋本治
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百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。内容の整理ノートで検討しています。(2020年1月)

あきもと おさむ秋本 治
本名秋本 治
生誕 (1952-12-11) 1952年12月11日(71歳)
日本東京都葛飾区亀有
国籍 日本
職業漫画家
称号紫綬褒章
活動期間1976年 -
ジャンル少年漫画
代表作『こちら葛飾区亀有公園前派出所
受賞第30回日本漫画家協会賞大賞
第50回小学館漫画賞審査委員特別賞
第21回手塚治虫文化賞特別賞
(以上『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)
第48回星雲賞コミック部門
第64回菊池寛賞
第67回芸術選奨文部科学大臣賞[1]
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秋本 治(あきもと おさむ、1952年昭和27年〉12月11日[2] - )は、東京都葛飾区亀有出身の日本漫画家[2]。デビュー時のペンネームは山止 たつひこ(やまどめ たつひこ)[2]

代表作は1976年から2016年まで40年間に亘って一度も休載せず続いた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称こち亀)。
概要

本郷高校デザイン科卒業[2]。自身を中心とする漫画制作集団「有限会社アトリエびーだま」[3]の代表取締役。2019年に紫綬褒章を受章している。
来歴
漫画家を志すまで

9歳の時に父親と死別して以降、母親の手だけで育てられた[4]。小学校3年生頃より漫画らしきものを描き始め、5年生の時に漫画家に憧れるようになり、ペンを買い久松文雄の『スーパージェッター』に似たものを描く[5]。中学校に入り、母親に買ってもらった石森章太郎の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る[6]。この頃書きためた作品をまとめた個人誌「星」を製作する[7]。高校のデザイン科に入学し、学友とともに「マンガ劇画同好会」を立ち上げるとともに同人サークル「CCマニア」に参加し、同人誌『でんでんむし』に作品を投稿していた。この頃の秋本の画風は周囲からの影響で劇画タッチだった[8]

高校卒業後、アニメーターを志し旧虫プロダクションのアニメーター採用試験を受けるも不合格であった。しかし旧虫プロダクションの紹介でタツノコプロに入社する。同社作品『カバトット』『かいけつタマゴン』『科学忍者隊ガッチャマン[9]』などで2年間動画などを務めた[10]。当時は同社の演出家だった布川ゆうじと共に仕事をしている[11]。しかし仕事が多忙となり、病気で入院していた母の看病が週1度の頻度しか出来なくなったため退社[4]。その後は「CCマニア」解散後に残った仲間と「漫画創作倶楽部」を結成[8]。母の看病をしつつ、しばらく投稿漫画家生活を送る。
『こち亀』でデビュー

母の死をきっかけに1976年昭和51年)、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を新人賞に応募する[4](以下『こち亀』)。月例ヤングジャンプ賞入選作品(4月期)に選ばれ、山上たつひこの名前をもじった「山止たつひこ」の名義で、『週刊少年ジャンプ』29号(6月22日発売)に読切として掲載される。賞へ応募した際のペンネームは、さらに石森章太郎のもじりも加えた「岩森章太郎改め山止たつひこ」であった(岩森章太郎名義での執筆歴はない)。長いタイトルとペンネームは、「自分の投稿が編集者の目に止まるように」という理由からであった。

『週刊少年ジャンプ』1976年42号(9月21日発売)より『こち亀』の連載を開始。編集部からは「この漫画ではこの名前で、終わったら本名にしてもいいよ」と言われており、本人も短期で連載終了するとばかり思っていたものの、予想以上に人気が出て連載が続き、さらには「本家」の山上たつひこからクレームが出た[12]こともあり、100話目を機に現在のペンネーム(本名)に改めることになった。それまで山止名義で刊行されていた単行本第1巻 - 第6巻は、増刷の際に秋本治に改められた[注 1]。秋本は後年「山上たつひこ先生に本当に申し訳ないことをした」「若気の至りとはこのためにあるような言葉です」「なんて大それたことをしたんだ!と思う」など反省の弁を述べている[13]

『こち亀』は1977年(昭和52年)12月24日せんだみつおの主演で映画化され、1985年(昭和60年)のジャンプフェスティバル向け短編アニメを経て1996年から2004年までフジテレビ系列でテレビアニメ化された(前者と後者とではスタッフ・キャスト共に異なる)。また、過去5回(1999年2001年2003年2006年2016年)舞台化もされている。

連載4年目に結婚する[14]

2000年平成12年)の誕生日以降、『こち亀』の連載期間が秋本の人生の半分以上を占めるようになった。
長寿作家へ

『こち亀』で2001年に第30回日本漫画家協会賞大賞を、2005年には第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞している。

2005年(平成17年)8月6日、『こち亀』の発行部数が1億3000万部を突破し、東京・浅草神社に石碑が建立された。

2006年(平成18年)、『こち亀』が連載30周年・150巻発売・1450話記念となる。2月11日、主人公の両津勘吉の銅像が亀有駅の北口と南口に1体ずつ設置され、秋本とラサール石井が出席して除幕式が行われた。


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