秋川新聞
社屋および宮崎家の住宅の跡地
(2023年9月撮影)
種類週刊
サイズタブロイド判[注 1][1]
事業者有限会社新五日市社[2][3]
代表者宮崎克己[注 2][4][5][6](宮崎勤の父親)
創刊1957年1月[7]
廃刊1989年8月6日号(最終刊)[8]
前身宮崎織物工場
言語日本語
価格月極 600円[1][9]
発行数公称5,000部[10]。3,500[1][11]、もしくは4,500とする文献もある[12](いずれも1989年8月時点)
有限会社新五日市社
本社所在地 日本
〒190-01[14]
東京都西多摩郡五日市町小和田181(座標)[6][13]
事業内容『秋川新聞』の印刷・発行、はがき[15]・商店のチラシ・名刺・挨拶状の印刷[12]
設立1954年9月[16]
業種情報・通信業
従業員数5人(1989年8月時点)[10][15]
関係する人物宮崎勤(社長の長男)[10]
特記事項:
第三種郵便物認可: 1957年1月23日[7][6]
宮崎勤が起こした東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の影響で1989年8月に廃業[2]
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秋川新聞(あきがわしんぶん)は、かつて日本の東京都西多摩地域で発行されていた週刊の地方新聞[1]。毎週日曜日に刊行されていた[17]。発行元は東京都西多摩郡五日市町(後に秋川市と合併、現在のあきる野市)に拠点を置く[1]有限会社新五日市社で[2][3]、同町をはじめ秋川流域の4市町村(秋川市・日の出町・檜原村)で販売されていた[18]。1989年(平成元年)時点では紙面はタブロイド判16ページで、紙面の大部分を広告が占めていた[注 3][1][17][19]。