秋山豊寛
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秋山 豊寛

宇宙飛行士
生誕 (1942-06-22) 1942年6月22日(81歳)
日本東京都世田谷区
他の職業ジャーナリスト(元・TBS記者)、京都造形芸術大学教授
宇宙滞在期間7日21時間54分40秒
ミッションソユーズTM-11, ソユーズTM-10
記章
受賞.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

人民友好勲章(英語版)
en:Medal "For Merit in Space Exploration"


署名

秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年昭和17年〉6月22日 - )は、日本ジャーナリストソビエト連邦第3級宇宙飛行士、世界初の民間人宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部元教授2017年4月から三重県大台町在住[1]。元TBS[注釈 1]記者・ワシントン支局長。TBSスパークル所属。

TBSに勤務していた1989年から1990年にかけて、民間人では初めて商業宇宙飛行を利用するとともに、ジャーナリストでは初めて宇宙空間から宇宙を報道[2]。 現在は、初めて宇宙に行った日本人として、宇宙探検家協会(ASE、“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体)の会員にもなっている。旧ソビエト連邦宇宙ステーションミール滞在した唯一の日本人でもある[3]

1990年12月1日にソ連の国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けているが、一方で彼は民間企業のスポンサーによって宇宙飛行を果たした人間の1人であることは間違いなく、その意味で彼は日本人初の宇宙飛行士にして民間初の宇宙飛行者である。なお旧ソ連の宇宙飛行士の資格は、ロシア連邦となった現在でも有効である。
人物・来歴ワシントン支局長時代、レーガン大統領にインタビュー(1985年4月29日)

東京都世田谷区出身[4]。玉川学園小学部、同学園中学部卒業。中学のときに父親が失業し、高校進学を断念しかけるが、親戚の援助により攻玉社高校に進んだ[5]。高校では落語に興じるようになった[6]

1966年3月、国際基督教大学 (ICU) 教養学部社会科学科卒業[7]。同年4月、TBSへ入社。同期には、城所賢一郎、川戸恵子遠藤泰子などがいる。入社後にラジオニュース部へ配属されると、収録番組の構成や、『ニュースハイライト』の取材などを担当した。入社2年目の1967年12月からイギリスのBBC(英国放送協会)へ出向。NHK・朝日放送[8]からの出向者とともに、BBCワールドサービス日本語放送での番組制作・取材に携わった。

BBCへの出向期間を終えた1970年から、TBSの外信部に配属。


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