秋山登
[Wikipedia|▼Menu]

秋山 登1956年頃撮影
基本情報
国籍 日本
出身地岡山県岡山市
生年月日 (1934-02-03) 1934年2月3日
没年月日 (2000-08-12) 2000年8月12日(66歳没)
身長
体重177 cm
73 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1956年
初出場1956年3月21日
最終出場1967年6月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


岡山県立岡山東高等学校

明治大学

大洋ホエールズ (1956 - 1967)

監督・コーチ歴


大洋ホエールズ (1963 - 1977)

野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年2004年
選出方法特別表彰
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000年8月12日)は、岡山県岡山市出身のプロ野球選手投手)・コーチ監督解説者

現役時代からコーチ・監督時代まで大洋ホエールズ一筋を貫いた。
経歴
プロ入りまで.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

このプロ野球選手・監督の経歴・人物像に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2013年6月)

岡山東高では高校、大学、プロを通じての同期である土井淳バッテリーを組む。土井とは、18年間組み続ける稀有な仲であった。2年次の1950年、秋季中国大会県予選準決勝に進むが岡山朝日高に惜敗。3年次の1951年には夏の甲子園東中国大会決勝で因縁の岡山朝日高を完封で降し、夏の選手権に出場を果たす。1回戦で高松一高と対戦するが、中西太に本塁打を喫するなど3-12で大敗した[1]。土井以外の高校同期では遊撃手の中田庄治郎(近鉄)がプロ入りしている。明治大学時代

高校卒業後は1952年明治大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは2年次の1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め3度優勝。3年次の1954年全日本大学野球選手権は、決勝でエース西尾慈高を擁する立命大に大勝し初優勝。4年次の1955年全日本大学野球選手権決勝では、日大島津四郎との投手戦を1-0で制し連覇を飾る。1955年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算で70試合登板33勝18敗、防御率1.48、334奪三振、ベストナイン1回。1954年春季リーグの東大戦での1試合22奪三振はリーグ記録。当時「黒雲なびく駿河台」と校歌をもじられるまで弱体化していた島岡吉郎監督下の明大に、第一期黄金時代をもたらした。島岡監督からは、毎日1000球の投げ込みを課せられていたが秋山はこれを忠実にこなし、強靭な身体と投球術を身に付けプロ入り後の大きな財産となった。土井以外の大学同期には、一塁手黒木弘重、遊撃手の岩岡保宏外野手沖山光利がおりいずれも大洋入り、秋山と共に「明大五人衆」と呼ばれる。更に二塁手土屋弘光も後に中日に入団した。
現役時代

1956年、土井らと共に大洋へ入団。同年は開幕2試合目から先発として起用され、リーグ最多投球回を記録。25勝25敗、防御率2.39(リーグ11位)を記録し新人王を獲得する。以降はエースとして活躍し、9年連続で2桁勝利を記録した一方、入団から4年連続リーグ最多敗戦投手を記録した。これは1リーグ制から含めてもNPBでは連続リーグ最多敗戦投手の最長記録となっている。入団から9年連続50試合以上登板は当時のプロ野球記録であった。

1957年には24勝27敗ながらリーグ最多の312奪三振を達成。

1960年4月2日の中日との開幕戦(中日)で、中日の牧野茂コーチのノックバットが秋山の額に直撃した。病院に運ばれる前途多難な始まりであったが21勝10敗、防御率1.75で球団史上初のリーグ優勝に貢献する。続く大毎との日本シリーズでは4試合全てにリリーフ登板し、16回と3分の1を投げて1失点(防御率0.53)を記録。10月11日の第1戦(川崎)では鈴木隆同15日の第4戦(後楽園)では島田源太郎をリリーフして勝利投手となる。チーム日本一の功労者として、日本シリーズ最高殊勲選手は逃したものの、年間MVP最優秀防御率ベストナインを獲得した[2]

1962年には72試合登板、自己最多の26勝を記録。9月25日同26日の阪神戦(川崎)には、2リーグ分裂後では唯一の2日連続完封をやってのけた。ダブルヘッダーで1日2勝も通算5回やってのけており、現在もプロ野球記録である。

1963年からはコーチを兼任。

1964年は21勝を挙げ、阪神との優勝争いの原動力となった。島田、鈴木、権藤正利稲川誠らとともに強力投手陣を形成した。

1965年以降は長年の酷使が祟って思うような成績が挙げられなかった。

1967年に現役を引退した。大洋一筋で重ねた勝星が193勝で、秋山はあと7勝で名球会入りに届く状況であった[3]。入団から4年連続最下位、現役12年間でAクラスが3回だけと低迷するチーム事情の中、エースとして先発にリリーフにとフル回転し、年間50試合以上を投げ続けて積み重ねた193勝は、強い球団で200勝を挙げた投手よりも価値が高いと評価されることも多い。1967年には秋山の高校の後輩である平松政次が入団。秋山と入れ替わるように大洋のエースとなった平松も「カミソリシュート」の異名をとって他球団の主砲たちに恐れられたが、もともと「カミソリシュート」の異名は秋山に対して付けられていたものであった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:166 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef