秋山成勲
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秋山 成勲
基本情報
本名秋成勲
通称ヌル山
Sexyama(セクシーヤマ)
国籍 韓国 日本
生年月日 (1975-07-29) 1975年7月29日(48歳)
出身地大阪府大阪市生野区
所属フリーランス
チーム・クラウド
身長177.8cm
体重77kg
リーチ190.5cm
階級ライトヘビー級/→ミドル級
ウェルター級
バックボーン柔道(三段)
キックボクシング
テーマ曲Time To Say Good Bye
サラ・ブライトマン
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獲得メダル
柔道
韓国
アジア大会
金2002 釜山男子81kg級
日本
アジア柔道選手権
金2001 ウランバートル男子81kg級

秋山 成勲 sexyama ???
YouTube
チャンネル

秋山 成勲 sexyama ???

活動期間2019年 -
ジャンルスポーツ
登録者数5.31万人
総再生回数489万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-01-07-00002023年1月7日時点。
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秋山 成勲(あきやま よしひろ、韓国名:秋 成勲(チュ・ソンフン、ハングル:???)、1975年7月29日 - )は、韓国男性総合格闘家大阪府大阪市生野区出身。エーチームグループ所属。HERO'S 2006ライトヘビー級世界王者。血液型O型[1]

在日韓国人四世として生まれ、後に帰化日本国籍を取得はしたものの、後年本人は「柔道のために日本国籍を取ったが私は永遠に韓国人」と語っている。ニックネームは「ヌルヤマ」「反骨の柔道王」「セクシヤマ」("Sexyama" UFCでのニックネームである)「反骨の柔道鬼」。

妻はモデルSHIHO。娘は子役タレントのサラン。
来歴
出生から柔道家時代まで

大阪府大阪市生野区で在日韓国人4世として生まれる。父親の影響で3歳より柔道を始める。清風高校から近畿大学へ入学。

大学卒業後、韓国へと帰国。釜山市役所に勤務しながら韓国代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、僑胞への差別は激しく、韓国代表となることをあきらめ、2001年9月渡日、日本国籍を取得し現在の本名・秋山成勲に改名する。平成管財へ入社し、柔道81kg級で活動した。

日本に帰化し、釜山アジア大会に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道のために日本国籍を取りはしたが、私は永遠に韓国人だ。私を声援してくれた同胞たちに感謝する」とインタビューに答え、かえって韓国のマスコミの批判・バッシングを受ける結果となった。

2003年には地元大阪で開催された世界選手権に出場した。2回戦でフランスのセドリク・クラベリを背負投、3回戦でモンゴルのダムディンスレン・ニャムフーを払腰、準々決勝でトルコのイラクリ・ウズナゼを技ありでそれぞれ破るものの、対戦した3選手全員から「柔道衣が滑る」という抗議を受けた。そのため準決勝からは新しい柔道衣に着替えて出場することになった(詳細は後述)。その準決勝ではドイツのフロリアン・ワナーと対戦して、指導でリードしながら終了6秒前に大外巻込で逆転負けを喫すると、3位決定戦でもポーランドのロベルト・クラフチクに効果で敗れて5位に終わった[2]。なお、大会を放映したフジテレビからは「我流JUDOレボリューション」なるキャッチコピーが付けられた[3]

2004年4月4日、全日本選抜柔道体重別選手権大会(兼アテネオリンピック代表最終選考会)男子81kg級の準決勝で塘内将彦に優勢負けし、アテネオリンピック代表を逃した。この時柔道着が滑っていたかは定かではないが、これがきっかけとなり5月には平成管財を退社、7月には全日本柔道連盟の強化選手指定を辞退した。
プロ格闘家への転身

2004年7月からフリーのプロ格闘家として活動。

2004年12月31日、総合格闘技デビュー戦となったK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2005年3月26日、HERO'Sジェロム・レ・バンナと対戦し、左膝蹴りでKO負け。試合後、「あまりにも体重差がありすぎた。体幹の太さが違う」と振り返った。

2005年10月12日、K-1 WORLD MAX 2005のスペシャルマッチでマイケル・ラーマと対戦し、パウンドでTKO勝ち。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!ホイス・グレイシーと対戦予定であったが、12月上旬にぎっくり腰およびヘルニアを同時発症し欠場となった。

2005年11月5日、HERO'S 2005 in SEOULに参戦。「韓国軍 vs. 世界連合軍」をテーマに開催された同大会に韓国軍の大将としてメーンに登場し、奥田正勝と対戦。1R、バスターからのパウンドで失神TKO勝ち。なお、フィニッシュとなったパウンドで奥田の前歯を折った。

2006年8月5日、HERO'Sライトヘビー級(-85kg)世界最強王者決定トーナメント1回戦で金泰泳と対戦。腕ひしぎ十字固めで見込み一本勝ちを収めるも、金から「タップしていない」というクレームがついた。試合後、「ファンからのブーイングをもらったのは仕方ない。(腕ひしぎ十字固めを)自分がやっていた時は音がなっていたんで、正しいレフェリングだったと思います。もちろん完全燃焼はしていない」と語った。しかし後日、協議の結果、レフェリングミスが認められ、レフェリーストップまでの判定による判定勝ちに変更された[4]

2006年10月9日、HERO'Sライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント準決勝でケスタティス・スミルノヴァスを右ハイキックからのパウンドでKO勝ち、決勝ではメルヴィン・マヌーフ腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め優勝を果たした。試合後のマイクアピールで、「チャンピオンになってしまいました。桜庭さん、じっくり治して、大みそか。このHERO'S、柔道最高!」と発言した。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!のメインイベントで桜庭和志と対戦し、パウンドでTKO勝ち。試合後はセコンドについた清原和博と抱き合い勝利を喜んだ。後日、秋山の悪質な反則行為が発覚し、2007年1月11日付けで試合結果はノーコンテスト扱いとなり[5]FEG主催大会への無期限出場停止の処分を受けた。[6](後述)。

2007年10月1日、HERO'Sの記者会見が韓国で開かれ、出場停止処分の解除が発表された。

2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007デニス・カーンと対戦し、右アッパーでKO勝ち。試合後、マイクを持った秋山は韓国語で「いろいろありましたけど、国民一人一人の力によって戻ってこれることができました。我が国、大韓民国、最高!」とアピールし、観客の拍手を浴びた。

2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007三崎和雄と対戦。大会前日に新宿で行われた公開記者会見でも、入場時にも大ブーイングを浴びた。右ストレートで三崎からダウンを奪うも、持ち直した三崎の左フックで倒され、起き上がろうとしたところにサッカーボールキックを受け1R8分12秒KO負け(のちに三崎反則によるノーコンテスト[7])。


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