秋吉久美子
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あきよし くみこ
秋吉 久美子
本名小野寺 久美子
[1](おのでら くみこ)[2]
生年月日 (1954-07-29) 1954年7月29日(69歳)
出生地静岡県富士宮市
国籍 日本
身長162cm
血液型O型
職業女優
ジャンル映画テレビドラマ演劇
活動期間1972年 -
配偶者岩久茂1979年 - 1989年
映像クリエーター(2004年 - 2005年、2006年 - 2014年)[2]
事務所合同会社秋吉
公式サイト秋吉久美子オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
花神
夢千代日記』シリーズ映画
赤ちょうちん
あにいもうと
異人たちとの夏
男はつらいよ 寅次郎物語
深い河

 受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1995年深い河[2]
優秀助演女優賞
1982年誘拐報道』『制覇』『凶弾
1987年夜汽車
1988年異人たちとの夏[2]男はつらいよ 寅次郎物語
ブルーリボン賞


主演女優賞

1976年『さらば夏の光よ』『あにいもうと

助演女優賞

1987年『夜汽車』

1988年『異人たちとの夏』

その他の賞
日本映画批評家大賞
女優賞
1995年深い河
2004年透光の樹毎日映画コンクール
女優演技賞
1976年『あにいもうと』
女優助演賞
1988年『異人たちとの夏』キネマ旬報ベスト・テン
助演女優賞
1988年『異人たちとの夏』山路ふみ子映画賞
女優賞
1995年『深い河』モントリオール映画祭
女優賞
1995年『深い河』

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秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年昭和29年〉7月29日[1][2] - )は、日本の女優。本名は、小野寺 久美子(おのでら くみこ)。静岡県富士宮市生まれ、福島県いわき市出身[3]
略歴
生い立ち

北海道函館市出身で研究者だった父親が戦後に結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[4][5]。小学生のころに亡くなった祖母との別れが一番印象に残っているとインタビューで語っている[6]。妹が一人いる[7]。その後、父が徳島県海部郡日和佐町(現在の美波町)の高等学校化学教師として赴任したため家族で移住した[4]。しかし、高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[4]。なお、父方の祖父は宮城県仙台市出身で、血縁的にも東北地方とは所縁があった[8]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、場長を務める。アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[4]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現在の福島県立磐城桜が丘高等学校)を卒業した[4]。高校時代は文芸部の部長をしていた[7]。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた『つかのまの久美子』(1977年青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。

高校3年生だった1972年、受験勉強中に聴いたラジオ深夜放送吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけである[2][7][9][10]
女優として

『旅の重さ』の主役オーディションでは主役に決りかけていたが[3][11]、遅れて来た高橋洋子に主役を取られ[3][11]、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演した[9]。夏休みの1週間だけ撮影に参加し、出演料は7万5千円だった[7]。撮影現場の空気は肌に合ったが、女優になろうとはすぐには思わず、大学へ行こうと思い受験勉強に励む[7]。翌1973年、大学受験に失敗し大きなショックを受ける[7]。いわき市で予備校通いをしたが、浪人も面白くなく、予備校も休みがちになってブラブラしていたとき、隣町で観た街頭アングラ演劇[3]「はみだし劇場」に感銘を受け[3]、同劇場の劇作家内田栄一の妻・内田ゆきに身柄をあずけ上京した[7][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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