この項目では、TBSのドラマ、および映画の「私は貝になりたい」について説明しています。2007年に放送された日本テレビのドラマについては「真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎「私は貝になりたい」」をご覧ください。
サンヨーテレビ劇場
私は貝になりたい
ジャンルテレビドラマ
原作加藤哲太郎(題名・遺書)
脚本橋本忍(物語・構成)
演出岡本愛彦
出演者フランキー堺
桜むつ子
佐分利信
南原伸二
河野秋武
オープニング作曲:土橋啓二
演奏:東京テレビオーケストラ
製作
制作ラジオ東京テレビ
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1958年10月31日
放送時間22:00 - 23:40
放送枠サンヨーテレビ劇場
放送分100分
回数1
特記事項:
・全編モノクロ作品
・VTRと生放送を併用
・第13回芸術祭文部大臣賞受賞
テンプレートを表示
『私は貝になりたい』(わたしはかいになりたい)は、ラジオ東京テレビ(KRT→TBS)の「サンヨーテレビ劇場」で1958年10月31日22時 - 23時40分に放送された日本のテレビドラマ。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作された橋本忍脚本によるフィクションで、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が戦後B級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描く。岡本愛彦演出、フランキー堺主演。第13回文部省芸術祭芸術祭賞[注 1](放送部門)受賞作[注 2]。
1959年と2008年に映画として、1994年にテレビドラマとしてリメイクされた。 TBSの前身、ラジオ東京テレビ(KRT)が1958年に制作したテレビドラマである。三洋電機の一社提供による単発ドラマ番組「サンヨーテレビ劇場」の一編(第42回)として、1958年10月31日に放送。通常は22時から30分間の放送枠だったが、このドラマでは22時 - 23時40分に拡大された。主演はフランキー堺。テレビ放送黎明期に制作され大きな反響を呼び、“ドラマのTBS”の礎となった作品として、日本のテレビ史に語り継がれている。 冒頭部分には、実際の極東国際軍事裁判の映像(東條英機元首相に判決が言い渡される様子)が使用されている。 第二次世界大戦中の1944年。高知県幡多郡清水在住の清水豊松(しみず とよまつ)は、気の弱い平凡な理髪師。理髪店を営んでいたが、戦争の激化によって赤紙が届き、応召することになる。 内地の某部隊に所属した豊松は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたB-29の搭乗員が裏山に降下し、「搭乗員を確保、適当(2008年の映画版では「適切」)な処分をせよ」という命令が豊松の中隊に下る。山中探索の結果、虫の息であった搭乗員を発見し、隊長は搭乗員を銃剣で刺殺するよう豊松に命令するが、気の小さい彼には殺すことができず、実際には負傷させただけに終わる。 終戦後、豊松は除隊して帰郷し、理髪店で再び腕を振るっていた。しかしある日、特殊警察が豊松をBC級戦犯として、捕虜殺害容疑で逮捕する。裁判で彼の主張は認められず、死刑を宣告された豊松は、処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。こんな酷い目に遭わされるのなら牛や馬の方が良い。いや、牛や馬になってもきっとまた人間に酷い目に遭わされる。いっそのこと深い深い海の底の貝に…。そうだ、貝が良い。どうしても生まれ変わらなければいけないのなら、深い海の底で戦争も兵隊も無い、家族を心配することもない、私は貝になりたい」と遺書を残すのだった。
概要
あらすじ
登場人物
清水豊松:フランキー堺
清水房江:桜むつ子
清水健一:平山清
敏子(房江の妹):高田敏江
三宅:坂本武
竹内:増田順二
根本:十朱久雄
酒井正吉:垂水悟郎
松田老人:有馬是馬
客:里木三郎
中学生:伊藤正次、伊藤克
刑事:梶哲也、永島明
近所の人:峰夕美子
このドラマは、豊松が逮捕される場面までの前半約30分強がVTR(10月26日深夜に収録)、裁判から最後までの後半が生放送で放送された[1][2]。当時はVTRのコピー編集やテープの手切り編集も出来ない時代であったので、前半の収録は録画状態のVTRを止めること無く、演技を休み無く続けていくいわゆる一発撮りであり、収録過程は生放送と同じであった。
当時の視聴率調査は、年に数回、1週間程度の調査期間を定めて行われるものであったため、このドラマの視聴率は記録に残っていない[3]。ちなみに東京では、ラジオ東京テレビのほかには、NHKと日本テレビが開局したのみであった。
スポンサーCMは、ドラマの本編中には一切挟まずに、本編前後で放映され、本編中には6回の提供クレジットが表示されただけであった。