私が、生きる肌
La piel que habito
監督ペドロ・アルモドバル
脚本ペドロ・アルモドバル
アグスティン・アルモドバル
原作ティエリ・ジョンケ
『私が、生きる肌』(わたしがいきるはだ、スペイン語: La piel que habito、英語: The Skin I Live In)は、ペドロ・アルモドバル監督・脚本による2011年のスペイン映画である。ティエリ・ジョンケの小説『蜘蛛の微笑』を原作としている。
日本では2011年9月15日に第8回ラテンビート映画祭で上映され[3][4]、2012年5月26日に一般劇場公開された[5]。 世界的な形成外科医ロベル・レガルが暮らすトレドの大邸宅の一室に、ベラと名乗る美しい女性が、レガル家で古くから働く初老の家政婦マリリアの監視の下、軟禁されている。ベラはロベルの妻ガルに瓜二つであるが、実はガルは12年前に交通事故で全身火傷を負い、非業の死を遂げていた。その後、ロベルは妻を救えたかも知れない「完璧な肌」を作り出すことに執念を燃やし、自らの開発した人工皮膚を使って、ベラを実験台にして彼女を亡き妻の姿に作り変えていたのだ。ベラはそんなロベルを誘惑するが、ロベルはベラに惹かれつつも彼女の誘惑を拒む。 そんな或る日、マリリアの息子セカが強盗を働いて指名手配され、匿ってくれと屋敷に現れる。マリリアはセカを渋々屋敷の中に入れるが、セカはベラの存在を知ると、ロベルが留守であることをいい事に、無理矢理ベラの軟禁されている部屋に押し込み、ベラをガルと思い込んで犯す。ベラは自分を屋敷から救い出してくれと頼み、セカの望むままに抱かれる。ちょうどその時にロベルが帰宅し、セカを射殺する。ロベルがセカの遺体を埋めている間、マリリアはセカがロベルの父違いの弟であり、ロベルの実母が自分であることをベラに語る。セカの父親は使用人だが、ロベルの父親は先代のレガル家の主人であり、正妻に子ができなかったため、主人とマリリアの間に生まれた子をレガル家が引き取り、マリリアに世話をさせて育てたのだ。そして、今回と同じように警察から逃れて来たセカを匿ったことを切っ掛けに、ロベルの妻ガルがセカと不倫関係になり、駆け落ちの途中で交通事故に遭って大火傷を負ったこと、又一命は取り留めたにもかかわらず、自らの焼け爛れた姿を苦にして部屋の窓から投身自殺したこと、更にロベルとガルの娘ノルマが母の自殺を目撃して心に大きな傷を負い、その後同じように自殺したことを、マリリアはベラに語って聞かせる。 その夜、ロベルとベラは肉体関係を結ぶが、セカの陰茎によりベラの性器が傷付けられた為に、挿入することができないまま、2人は眠ることにする。そして、2人の回想として、ベラの正体が明かされる。 6年前、ロベルと娘ノルマは知人の披露宴に出席していた。ノルマは母の非業の死で精神を病んでいたが、その頃には状態が落ち着いており、披露宴会場で出会った地元の仕立て屋の息子ビセンテと一目で惹かれ合う。薬とアルコールの勢いも有り、2人は庭の叢で関係を結ぼうとするが、その途中でノルマが発狂する。慌てたビセンテはノルマを殴って気絶させて逃げ出すが、その様子をロベルに目撃されてしまう。ノルマは完全に正気を失い、父であるロベルのことすら分からなくなる。ロベルは娘の復讐の為に、ビセンテを誘拐して監禁する。そしてノルマが自殺すると、ロベルは屋敷内の手術室でビセンテに性別適合手術を施す。更にロベルはビセンテの顔を整形し、自ら開発した人工皮膚を使って亡き妻ガルに似せて行くと、「彼女」にベラの名を与えたのだった。 ロベルを愛していると云うベラをロベルは信用する。そして漸く結ばれることになった2人だったが、ロベルが油断した隙に、ベラはロベルが隠し持っていた拳銃を盗み出すと、ロベルを撃ち殺す。銃声を聞いて駆け付けたマリリアも撃ち殺したベラは、屋敷を逃げ出し、生まれ故郷に戻る。そして自分がビセンテであることを実母に告げる。 ※括弧内は日本語吹替
物語
キャスト
ロベル・レガル - アントニオ・バンデラス(吉見一豊)
天才医師[6]。妻であるガルを亡くしている。
ベラ・クルス - エレナ・アナヤ(佐藤あかり / 美斉津恵友)