福知山鉄道管理局
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日本国有鉄道の地方機関は、日本国有鉄道の「従たる事務所」として設置されていた鉄道管理局などの地方機関について述べる。

本記事では地方機関に関連する日本国有鉄道の現業機関制度、および帝国鉄道会計により帝国鉄道庁鉄道院および鉄道省が直営していた時代に設置された地方機関についても述べる。

国の公共企業体として1949年に設立された日本国有鉄道では、主に従たる事務所として「鉄道管理局」等が置かれた。またそれらを地方単位で統轄する上位機関は、時期に応じて様々な経過を辿り、「支配人」「支社」「総局」など多々の組織改編がなされた。1987年3月時点で、全国に30の鉄道管理局および総局が設置されていた。
地方機関の変遷

以下は本稿で述べた主な各地方機関の変遷を一覧図にしたものである。

帝国鉄道庁
(1907-1908)鉄道院
(1908-1920)
鉄道省
(1920-1943)運輸通信省
鉄道総局
(1943-1945)運輸省
鉄道総局
(1945-1949)日本国有鉄道
(1949-1987)
鉄道管理局
(1908-1920)鉄道局
(1920-1950)運輸支配人
営業支配人
(1950-1952)総支配人
(1952-1957)支社
(1957-1970)総局
(1970-1987)
帝国鉄道管理局
(1907-1908)
駐在理事室
輸送計画室
(1970-1985) 
運輸事務所
保線事務所
(1907-1942)管理部
(1942-1950) 鉄道管理局
(1950-1987)
営業事務所
(1907-1908)地方営業事務所
地方経理事務所
地方資材事務所
(1950-1952)
出納事務所
(1907-1913)
(現業機関)地方自動車事務所
(1950-1968)地方自動車局・地方自動車部
(1968-1987)
 

鉄道管理局新潟鉄道管理局庁舎(新潟駅万代口駅舎、のちJR東日本新潟支社JR貨物関東支社新潟支店、現存せず)静岡鉄道管理局庁舎(現・JR東海静岡支社JR貨物東海支社静岡支店)福知山鉄道管理局庁舎(現・JR西日本福知山ビル

鉄道管理局は、日本国有鉄道法で日本国有鉄道の従たる事務所と定められた地方機関で、現在の各旅客・貨物鉄道の支社および支店に相当する。現業機関の上位に置かれ、本社と各現業機関との調整・監督を担当した。

鉄道省時代の太平洋戦争中、鉄道局の下に設けた「管理部」(1942年〈昭和17年〉9月11日発足)を再編するために設けられた。1950年(昭和25年)1月1日に北海道(釧路・旭川・札幌)、同年4月1日に四国でそれぞれ管理局制を試行したのち、同年8月1日の地方組織改正で誕生。全国47カ所の管理部および鉄道局を27鉄道管理局に再編した。

発足時点での地方機関は米国流の組織体系にならって業務別の縦割り組織とされ、鉄道輸送業務を行う鉄道管理局のほか、地方営業事務所(営業業務)、地方経理事務所(経理業務)、地方資材事務所(資材業務)、自動車事務所(自動車輸送業務)の各機関が発足した。のち、講和直後に実施した1952年(昭和27年)8月5日の組織改正で、自動車事務所を除く各事務所が鉄道管理局に統合された。

高度経済成長期首都圏の輸送量急増を受け、1969年(昭和44年)3月1日に東京鉄道管理局を東京北、東京南、東京西の3局(東京3局)に分割した。一方、支社制度時代に新潟、広島、四国の3鉄道管理局が廃止されて支社に統合されたが、1970年(昭和45年)8月14日の支社制度廃止で、新潟、中国の両支社は旧称の鉄道管理局に改称した。また、札幌、門司の各鉄道管理局は1985年(昭和60年)3月20日に北海道、九州の各総局に統合された。札鉄局は北海道総局発足時から1976年(昭和51年)12月1日の道総局組織改正までの期間も総局に統合されている。

1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化に備え、同年3月1日に全国14路線で鉄道管理局の「局界」を各承継会社の予定エリアに合わせて変更した。
鉄道管理局の組織

鉄道管理局の組織機構は国鉄末期には以下の7部33課を標準としたが[1]、小規模局では4部体制とするなど、局の規模によって違いがあった。各部課は対応する本社部局の地方出先機関として関係現業機関を所轄するとともに、局内他部課と連携して管内業務の調整を行った。

総務部経理部営業部運転部施設部電気部事業開発部
企画室主計課総務課総務課総務課総務課総務課
文書課会計課旅客課列車課契約用地課電力課開発課
法務課審査課貨物課保安課保線課変電課
人事課調度課公安課機関車課工事課信号課
能力開発課客貨車課建築課通信課
労働課踏切保安課

鉄道管理局の統括機関
地方支配人・地方総支配人制度

地方支配人時代の国鉄組織図(1951年9月1日時点)総支配人時代の国鉄組織図(1952年8月5日時点)

運輸省から承継した鉄道局に代わって地方単位で地方機関を統括する責任者として1950年8月1日、地方運輸支配人と地方営業支配人を設置した。運輸支配人は本社運輸総支配人直属で管内の鉄道管理局を、営業支配人は本社営業局長直属で管内の地方営業事務所を所管した。このほか地方支配人を介さない本社経理局長直属の地方経理事務所、本社資材局長直属の地方資材事務所、本社自動車局長直属の地方自動車事務所をそれぞれ設置した。

1952年8月5日の組織改正で、地方自動車事務所を除く営業、経理、資財の各地方事務所を鉄道管理局に統合し、同時に運輸支配人、営業支配人に代わって各鉄道管理局を管轄する本社直属の管理者として、北海道総支配人・東北総支配人・関東総支配人・中部総支配人・関西総支配人・西部総支配人の6地方総支配人を設置した[2]
支社制度

支社管轄図(9支社時代)支社時代の国鉄組織図(1959年9月1日時点)

十河信二総裁時代の1957年1月16日、本社から地方への大幅な権限委譲を行うために、総支配人制度を再編して発足したもので[3]、北海道・東北・関東・中部・関西・西部の6支社を設置。のちの分割民営化構想のモデルとなった。

その後、1959年に新潟(関東支社から分離)、中国(西部支社から分離)、四国(関西支社から分離)の3支社を新設し、北海道(札幌・旭川・釧路・青函)、東北(盛岡・秋田・仙台)、関東(水戸・東京・千葉・高崎)、新潟(新潟)、中部(名古屋・静岡・長野・金沢)、関西(大阪・天王寺・福知山・岡山・米子)、中国(広島)、四国(四国)、西部(門司・熊本・鹿児島・大分)の9支社体制となった[3]

1支社1鉄道管理局の新潟、中国、四国の3支社は、管内の鉄道管理局を廃止して業務を統合した。また東海道新幹線開業に備え、1964年に東海道新幹線支社が発足[3]。西部支社は1968年2月1日の組織改正で九州支社に改称した。

後年、当初の狙いとは逆に組織肥大を招いていると国会などで批判を受け、また、通信インフラの整備もあり、本社組織再編に合わせて1970年8月14日に廃止[4]。北海道支社、四国支社、九州支社と東海道新幹線支社は総局に移行したほか、本州には新たに輸送計画室(東北・中部・関西)、駐在理事室(仙台・名古屋・大阪)を置いた[5]
総局制度北海道総局庁舎(旧・札幌駅駅舎。のちJR北海道本社、JR貨物北海道支社。現存せず)四国総局庁舎(旧・高松駅駅舎。のちJR四国本社、JR貨物関西支社四国支店。現存せず)門司鉄道管理局・九州総局庁舎(のちJR九州第一庁舎。現・北九州市保有)

1970年8月15日(昭和45年)には中間組織の簡素化を図るため、支社制度が廃止され、本州における地方機関は本社直轄となった[4]


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