福知山西駅
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福知山西駅*
ふくちやまにし
FUKUCHIYAMANISHI

福知山 (1.1 km) (3.4 km) 下川
所在地京都府福知山市天田.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度18分12.7秒 東経135度7分2.9秒 / 北緯35.303528度 東経135.117472度 / 35.303528; 135.117472 (福知山西駅*)
所属事業者北丹鉄道
所属路線北丹鉄道線
キロ程1.1 km(福知山起点)
駅構造地上駅
ホーム1面1線
開業年月日1923年大正12年)9月22日
廃止年月日1974年昭和49年)2月28日**
備考* 1923年12月に福知山町駅から改称
** 1971年3月1日より休止
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福知山西駅(ふくちやまにしえき)は、かつて京都府福知山市天田にあった北丹鉄道廃駅)である。北丹鉄道の本社と車庫が併設されていた[1]
歴史

当駅は1923年大正12年)9月、北丹鉄道の開業に合わせて開業した。当初の駅名は福知山町駅(ふくちやまちょうえき)であったが[1][2]、同年12月には福知山西駅に改称されている[3]

北丹鉄道は1971年昭和46年)3月に営業を休止し、そのまま1974年(昭和49年)2月末に廃止許可[4]、当駅もこの時廃止された[2]。廃止後の駅には車両3両(DB5L2、ハ12、DLC1)が長い間置かれていたが、1983年(昭和58年)頃に撤去されており、3両とも現存しない[5][6]
年表

1923年大正12年)

9月22日:北丹鉄道の福知山 - 河守間開業に伴い、福知山町駅として開業[2][7]

12月17日:福知山西駅に改称[3][8]


1953年昭和28年)9月25日台風13号による水害のため17日間の営業休止となる[9]。その後、当駅を含む福知山 - 下天津間で折り返し運転を開始[9]

1954年(昭和29年)7月28日:水害復旧により全線営業再開となる[9]

1961年(昭和36年)9月8日第2室戸台風による水害のため47日間の営業休止となる[9]

1971年(昭和46年)3月1日:北丹鉄道が営業休止[10]、当駅も休止となる[2]

1974年(昭和49年)2月28日:北丹鉄道が廃止許可[10]、当駅も廃駅となる[2]

駅構造

福知山西駅線路配置図 ←
福知山







下川
凡例
出典:[11]
接続していない線路は撤去済みを示す

北丹鉄道では一番規模の大きな駅であったが、ホームは1面のみ、線路はホームに接する発着線1本のほかに機回し線車庫への引き込み線がそれぞれ1本ずつという簡単な構造であった[1][12]。引き込み線ははじめ2本あったが、北丹鉄道がバスの運行を始めると1本撤去され、空いた分の敷地はバスの整備場に転用された[12][13]

駅舎は北丹鉄道の本社屋を兼ねたもので、木造2階建て[1]。駅員が配置されていた[14]。北丹鉄道は隣の起点駅福知山に駅員を配置していなかったため、福知山駅での業務は当駅から上り列車に乗車した駅員によって行われた[12]


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