福田 理軒(ふくだ りけん、通称:理八郎、主計介とも、初期の名前は本橋 惟義、1815年(文化12年)5月 - 1889年(明治22年)8月17日)は、大坂出身の江戸時代末期から明治時代にかけての数学者。子供は数学者の福田治軒
(福田半とも)で、弟子には岩田清庸、松見文平らがいる。丸山健夫の『筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語』と言う本に生涯が描かれており、題名通り「日本に筆算を広めた人物」として知られる他、1834年には兄の復と共に大坂の和算塾であった順天堂塾(現:順天中学校・高等学校)の創立者としても知られる[1]。
また、主な作品に1857年に日本で最初に西洋の数学について紹介した[2]『西算速知』や、1879年には日本で最初に数学史の本としてまとめ上げた書物[3]『算法玉手箱』、日本初の解析幾何学書である『代微積拾級訳解』がある。
名は泉とも名乗り、号は理軒、順天堂で、兄は理軒と同じく数学者の福田復(福田金塘とも)。主に測量や天文などの技術を弟子に教えた。
1877年には日本初の学会である東京数学会社の設立に参加した。 1818年5月に大坂の商屋
生涯
1842年には土御門家に仕え、大坂の南本町に私塾を開き、弟子の岩田清庸らを指導した。
1854年頃より1867年頃までにかけて当時では最先端だった[4]測量書である『測量集成』を著す。
1857年には日本で最初に西洋の数学について紹介した『西算速知』を著した。
1871年の明治維新後には東京に移住し、神田猿楽町に順天堂求合祉と呼ばれる和算塾を開いた。
1877年に東京数学会(現:日本数学会)の創立に貢献し、後に弟子の松見文平が順天堂求合祉を受け継ぎ、文平は順天中学校の校長に就任する。
1878年から1879年にかけては算数の初歩から分かり易く説明し、1886年には文部省の小学校指定教科書となった[3]『明治小学塵劫記』を著す。また、同年には日本で最初に数学史の本としてまとめ上げた書物である『算法玉手箱』を著した。
理軒はその後、大阪に戻ったが、帰阪した理由及び生活は不明である[2]。墓所は文京区善心寺。
その他の著書として『規尺便覧』、『順天堂算譜』が挙げられる。
脚注^ 順天高校の学生が、「現代にタイムスリップしてきた理軒が高校生に数学を教える」というストーリーのドラマを制作中(2017年8月時点)である。丸山が理軒を演じている。福田理軒 業績をドラマに 江戸時代、筆算広めた算学者 著書出版の教授主演、順天高で制作/東京『毎日新聞』朝刊2017年8月22日(東京面)
^ a b 彌永昌吉・中村誠太郎、三村征雄、湯川秀樹 『万有百科大事典 16 物理・数学』 相賀徹夫、小学館〈日本大百科全書〉(原著1976年4月20日)、初版(日本語)、474頁。
^ a b ⇒福田理軒の著書 - 順天160年史、2012年9月26日閲覧。
^ ⇒測量・地図おとなの話、2頁、2012年9月26日閲覧。
参考文献
丸山健夫『筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語』(臨川書店、2015年4月8日)
彌永昌吉、中村誠太郎、三村征雄、湯川秀樹 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 16 物理・数学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1976-4-20)。
“ ⇒福田理軒とは”. コトバンク. 2012年9月26日閲覧。
“ ⇒福田理軒とは”. Weblio辞書. 2012年9月26日閲覧。
“ ⇒大阪の和算家ゆかりの地めぐり”. 2012年9月26日閲覧。[リンク切れ]
小林龍彦「福田理軒・治軒と鉄道助佐藤政養(数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1546巻、京都大学数理解析研究所、2007年4月、204-216頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}CRID 1050001202062897152、hdl:2433/80769、ISSN 1880-2818、2024年1月12日閲覧。
川北朝鄰: 關夫子以降本朝數學の進歩竝に學戰, 東京數學物理學會『本朝數學通俗講演集: 關孝和先生二百年忌記念』, 大日本圖書, 明治41年
関連項目
『西算速知』
『算法玉手箱』
『明治小学塵劫記』
福田復(福田金塘)
福田治軒(福田半)
武田真元
小出兼政(小出修喜)
岩田清庸
松見文平
小俣勇造
小寺裕 - 大阪府出身の和算家。二代目福田理軒の号を持っている。
和算
順天中学校・高等学校
外部リンク
福田理軒の検索結果 - 国立国会図書館デジタル化資料。
福田理軒の検索結果 - 早稲田大学古典籍総合データベース。
⇒順天160年史 - 順天中学校・高等学校。
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