福田博
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

福田弘」、「福田宏」、「福田宏 (工学者)」、あるいは「福田洋」とは別人です。

福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事弁護士(丸の内国際法律事務所)。
人物

東京都立日比谷高等学校東京大学法学部を卒業後、外務省入省。外務省では中枢ポストを昇進し続け、外務審議官(政務担当)になり次官候補最有力とも目された。1995年からは約10年間、最高裁判所判事を務め、定年退官後は弁護士となった。
職歴

1959年3月 東京大学法学部第二類(公法コース)卒業

1959年 外務公務員採用上級試験合格

1960年3月 東京大学法学部第一類(私法コース)卒業

1960年4月 外務省入省。同期は、林貞行谷野作太郎伊藤憲一

1962年 イェール大学イェール・ロー・スクール修了(LL.M.

1975年-1976年 外務省経済局国際機関第二課長

1976年-1978年 外務省アメリカ局北米第二課長

1978年-1980年 同省同局北米第一課長

1980年-1983年 在米日本国大使館参事官

1983年-1985年 大臣官房人事課長

1985年-1986年 大臣官房審議官アジア局

1986年-1987年 内閣総理大臣秘書官

1989年1月-1990年9月 外務省条約局長兼大臣官房海洋法本部長

1990年9月-1993年マレーシア特命全権大使

1993年-1995年 外務審議官(政務担当)

1995年9月4日-2005年8月1日 最高裁判所判事

1996年 カールトン大学名誉法学博士

2005年8月 最高裁判所判事を定年退官、弁護士登録(第一東京弁護士会

2006年3月- 西村ときわ法律事務所(のち西村あさひ法律事務所オブ・カウンセル

2006年- 株式会社ミレアホールディングス監査役

2007年4月 旭日大綬章受章

最高裁判事としての主な担当訴訟

神戸高専剣道実技拒否事件:1996年(平成8年)3月8日・第二小法廷判決(裁判長:河合伸一

愛媛県靖国神社玉串料訴訟:1997年(平成9年)4月2日・大法廷判決(裁判長:三好達

国立市主婦殺害事件:1999年(平成11年)11月29日・第二小法廷判決を裁判長として宣告。無期懲役を言い渡した控訴審判決に対し、検察官が死刑を求めて上告していた事件。判決では上告を棄却したが、「殺害された被害者が一名でも、1983年の最高裁判例で示された死刑選択基準(通称「永山基準」)に照らし、死刑がやむを得ない場合はある」という判断を示した[1]

福山市独居老婦人殺害事件:1999年(平成11年)12月10日・第二小法廷判決(裁判長:河合伸一)。国立事件と同様、控訴審の無期懲役判決に対し、死刑を求めて検察官が上告していた事件。同事件については被告人が強盗殺人罪で無期懲役刑に処された前科を有している(同刑の仮釈放中に再犯した)点、計画性の高さなどを踏まえて「死刑を適用しなければ著しく正義に反する」と判断し、原判決を破棄して審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した[2]。差戻後、同事件は広島高裁で死刑が言い渡され、2007年に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で死刑が確定している[3]

在外日本人選挙権訴訟:2005年(平成17年)9月14日・大法廷判決(裁判長:町田顕

また、一票の格差を巡る各違憲訴訟においては、少数意見として違憲判断を書き続けた。
外務省入省同期


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef