この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "福永恵規"
ふくなが さとみ
福永 恵規プロフィール
生年月日1967年1月26日
現年齢57歳
出身地 日本・東京都大田区
血液型A型
公称サイズ(時期不明)
身長/体重160 cm / 46 kg
BMI18
スリーサイズ80 - 58 - 85 cm
単位系換算
身長 / 体重5′ 4″ / 101 lb
スリーサイズ31 - 23 - 33 in
活動
デビュー夕やけニャンニャン
ジャンル映画、テレビドラマ、アイドル歌謡曲
所属グループおニャン子クラブ
活動期間1985年 - 1988年
2004年 -
備考歌手、女優、随筆家
他の活動プロデューサー
事務所ボンド企画 / オフィス日新
レーベルポニー・キャニオン
主な出演作『夕やけニャンニャン』
『夕食ニャンニャン』
『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』
『おニャン子学園危機イッパツ とんだ放課後』
『ミルッきゃナイDay』
主な楽曲『風のInvitation』
『ハートのIgnition』
アイドル: テンプレート - カテゴリ
福永 恵規(ふくなが さとみ、1967年1月26日[1] - )は、日本の元タレント、アイドル[2]。本名は同じ。東京都大田区出身[1]。出身校は多摩大学目黒中学校・高等学校。
おニャン子クラブの元メンバーで初代リーダー、会員番号は11番。おニャン子クラブ・夕やけニャンニャンのスターティングメンバーでもある。 弟が劇団に入っていた関係で、時々弟の撮影現場に付いて行って見学していたこともあり、子供の頃から女優に憧れていたという[3]。一方で歌手では、竹内まりやや杏里のようなボーカリストが好きと話していたことがある[3]。 1985年2月、高校生活最後の思い出として、フジテレビの人気深夜番組『オールナイトフジ』の特番『オールナイトフジ女子高生スペシャル』に出演したところ、国生さゆりらとともに同年4月からの同局で始める新番組『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブの一員としてスカウトされる。当時、大手一般企業(コンピューター関連企業[4])への就職が内定していたが、それを辞退して『夕やけニャンニャン』放送開始と共におニャン子クラブの一員として芸能生活をスタートさせる。これを機に松本伊代らが在籍(当時)する芸能事務所ボンド企画に所属[5]。 会員番号は夕やけニャンニャンおニャン子クラブ活動開始前にスターティングメンバー11人が集められスタッフからトランプカードA(1)?J(11)の11枚を裏返しでそれぞれが引いて出た目が会員番号に割り当てられた。引きあてた目がJ(ジャック)の11であったため11番になった。 生放送でも臆することなく堂々と振舞う度胸もあり、番組スタッフからも推されるメンバーの1人となり、おニャン子のデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』のフロントボーカルに抜擢され以降のおニャン子クラブのシングル楽曲及びLP盤(アルバム)を中心にフロントボーカル、センターを担当した。おニャン子クラブ関連のレコードジャケットやポスター、雑誌等では常にセンターポジションに位置していた。また『月曜ドラマランド』など、おニャン子主体のドラマに主役格で出演するなど、おニャン子クラブ活動前期を代表するメンバーとなった。一見、気の強そうなルックスにみられることが多いが、他のメンバーによれば「温和で優しく、控えめな性格だった」という。しかし夕やけニャンニャンの番組で発行された「おニャン子クラブ・プロフィール」では本人自筆で『本当はネアカでーす!』と紹介されている[6]。 番組開始当初はソロデビュー候補の1番手とされていたが、番組スタッフの思惑のようには人気は高騰せず、河合その子・新田恵利・国生さゆりの当時の「三強」をはじめ、吉沢秋絵や、異色ユニットであるニャンギラスにもソロレコードデビューでの先を越された形にはなったが当時の夕やけニャンニャンのチーフディレクターであった坂間和夫氏曰く「おニャン子のリーダー的ポジションの福永を早期にソロデビューさせて卒業されるのがその後のおニャン子クラブの活動に支障をきたす感じがあり不安要素もあるため福永にはグループにはいてもらいたかった」ということを雑誌取材記事にて述べている[7]。 おニャン子クラブの初代リーダーであったことが後の国生さゆりのインタビュー記事にて明かされた。当時はリーダーということを表に出してはいけない決まりだった。ちなみにサブリーダーが内海和子と国生だった[8]。 1986年5月、『風のInvitation』でソロデビュー、オリコン1位を獲得[9]。同年9月、おニャン子クラブを卒業。 卒業後もシングルとアルバムを定期的に発売、おニャン子ソロデビュー組で秋元康に限らず秋元以外でも竹内まりやなどの有名シンガーソングライターからの楽曲提供も多数ある。また女優業ではドラマで主役を務めるなど活躍の場を広げた。 その後は森永製菓「スプーナ」や「パイな気分」のCM出演するなどドラマ出演などのソロ活動と並行しておニャン子関連の番組には顔を出すことも多く、1987年9月のおニャン子クラブの解散コンサートにも出演した。1988年に体調を崩したことを契機に活動が極端に減り、同年11月20日に引退イベントを開催。その後一般企業に就職。何度か復帰の噂が流れたが、実現することはなかった。 1994年、OL時代に知り合った男性と結婚するが、その後、離婚。 現在、バーニングプロダクションの系列企業プロダクション・制作会社のオフィス日新で取締役(制作部長 / アシスタントプロデューサー)をしている[10]。芸能界引退後は一切公の場には現れないが、福永とは今も連絡を取っていて、福永と疎遠になっていた国生に連絡先を教えたと新田がインタビューで語っている。
略歴
出演
音楽番組
夜のヒットスタジオ(1985年7月・1986年5月・9月・11月・1987年1月・4月、フジテレビ)