福建土楼
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福建土楼
中華人民共和国

福建の土楼(振成楼)
英名Fujian Tulou
仏名Tulou du Fujian
登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (6)
登録年2008年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

福建土楼(ふっけんどろう、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: fujian t?lou フージェントゥーロウ)とは、中国福建省南西部の山岳地域にある、客家その他の人々による独特の版築建築物。客家土楼(はっかどろう)ともいう。またはタバコに囲まれた場所に立地し、13世紀から20世紀にかけて建てられたものがほとんどである[1]。土楼は通常、外部立ち入り禁止の大きな建物で、長方形か円形をしており、厚い土壁(180センチ以上)と木の骨格から成り、高さは3階か5階、80家族以上が生活している。この土でできた建物は通常1つの入口しか持たず、その入口も、鉄板で頑丈に補強された厚さ10センチから13センチの板戸で守られている。建物の最上階には、盗賊を防御するため、狭間が空けてある。

福建土楼は、初渓(Chuxi)土楼群、田螺坑(Tianluokeng)土楼群、河坑(Hekeng)土楼群、高北(Gaobei)土楼群、華安県の大地(Dadi)土楼群、洪坑(Hongkeng)土楼群、衍香(Yanxiang)楼、懐遠(Huaiyuan)楼、振福(Zhenfu)楼、和貴(Hegui)楼など、46を数える。これらは2008年、福建の土楼として、ユネスコ世界遺産に登録された。「生活と防衛を集団で行う組織の、特徴的な伝統的建築と機能の例として、またその環境と調和したあり方に関して」優れた点が認められた[1][2]

福建の土楼は中国の5A級観光地(2011年認定)で[3]、福建省の南東部に存在し、ほとんどは竜岩市永定区?州市南靖県の山岳地帯にある。
呼称承啓楼

1980年代、福建土楼は「客家土楼」「土の家」「丸い強い家」、あるいは単に「土楼」等、様々に呼びならわされていた。1990年代からは、中国の建築学者では「福建土楼」の語が定着した。すべての居住者が客家民族というわけではなく、南福建の人々がたくさん土楼に住んでいる。社団法人日本ユネスコ協会連盟では、福建の土楼の語を公式名称としている。

客家土楼は、福建土楼の一部に属する。南福建の土楼のすべてが福建土楼に分類されるが、すべてが客家土楼に属するわけではない。

「福建土楼」は「土楼」と同義ではなく、「土楼」のうちの1種類を指す語である。福建省には20,000を超える土楼が存在し、そのうち福建の土楼として登録されたのは3,000にすぎない。

福建土楼は「福建省南東の山岳地帯にある複数階の大きな建築物で、大集団がそこで生活、防衛し、土壁と木の骨組みで創られている」と定義される[4]
著名な福建土楼
初渓土楼群



初渓土楼群

集慶楼

初渓土楼群 Chuxi は、永定区下洋鎮の初渓村にある。ユネスコ世界遺産 1113-001 に認定された。

集慶楼 Jiqinglou は、この土楼群の中で最古最大の円形土楼で、1419年、永楽帝時期に建てられた。同心円状に2棟の円形土楼が建てられており、外側は4階建てで、それぞれの階に53部屋ずつが作られている。階段は72か所ある。内側は1階建てである。

振成楼振成楼の祖廟

振成楼 Zhenchenglou は、永定区湖坑鎮の洪坑村に位置する洪坑土楼群に属し、「土楼王子」と呼ばれている。ユネスコ世界遺産 1113-002 に認定された。1912年、裕福なタバコ販売業者の子孫により建てられた。振成楼は同心二重円状の土楼で、外側は4階建て、全部で184部屋ある。内側は2階建て、32部屋である。外側の土楼は、中国風水八卦に従って、4つに区分されている。

祖廟にみられるギリシア様式の円柱、2階通路にみられる錬鉄の手すりなど、西洋の影響が明らかである。
承啓楼



土楼の王・承啓楼

承啓楼の同心4円

承啓楼 Chengqilou は1709年の建築で、永定区高頭郷の高北村の高北土楼群に属し、「土楼の王」と呼ばれる。2008年、ユネスコ世界遺産 1113-003 に認定された。大きな円形土楼が4つ同心円状に並び、中央には祖廟が位置する。外側の土楼は、直径62.6メートル、各階72部屋の4階建てで計288部屋、2階から4階には円形通路、階段が4方位に4か所あって地面から最上階までをつないでいる。大きな屋根が外に広がって、中心の土楼を覆っている。1階には一族の台所、2階には穀物保管庫、3階と4階には居室と寝室がある。2つ目の円形土楼は、2階建てで各階40部屋の計80部屋。3つ目の土楼は共同図書館となっており、1階建て32部屋。4つ目の土楼は、祖廟を囲む屋根つきの円形通路である[5]。祖廟は中央に位置する。承啓楼には、2つの大門と2つの小門がある。江(チャン)家15代めの57家族300余人が現在もここに住む。全盛期には、一族80家族以上が承啓楼に住んでいたこともある。

この土楼群には他に、同心三重円の深遠楼 Shenyuanlou (直径70メートル)、変則五角形の床面の五角楼 Wujiaolou、長方形の世沢楼 Shizelou がある。
田螺坑土楼群



田螺坑土楼群

歩雲楼

田螺坑土楼群 Tianluokeng は、福建省?州市南靖県書洋鎮の田螺坑村にある。中国南部に位置し、廈門市からバスまたはタクシーで、曲がりくねった細いでこぼこの山道を4時間走ることになる。田螺坑土楼群は5つの土楼から成り、中央に方形の歩雲楼 Buyunlou、その周囲に3つの丸い土楼と楕円形の土楼との「四菜一湯」で構成されている。

方形の歩雲楼は五点形の中央に位置する。1796年、最初に建てられた土楼である。3階建てで、各階に26部屋ある。階段が4か所、各階の部屋の前に環状通路がある。歩雲楼は1936年に盗賊によって火をつけられ全焼し、1953年に元通りに再建された。

和昌楼 Hechanglou は3階建ての丸い土楼である。

振昌楼 Zhenchanglou は3階建ての円楼、各階に26部屋、1930年に建設。

瑞雲楼 Ruiyunlou は3階建て、各階に26部屋、1963年に建設。

文昌楼 Wenchanglou は3階建ての楕円楼、各階に32部屋、1966年に建設。

裕昌楼



1308年建築、5階建ての裕昌楼

裕昌楼の建築構造

裕昌楼 Yuchanglou は5階建ての土楼で、福建省?州市南靖県書洋鎮の下板村にある。1308年元代に劉家一族によって建てられた。中国でも最も古く高い土楼の1つである。裕昌楼は「東倒西歪楼」とも呼ばれるが、これは縦材の支柱構造が水平垂直でなく、左右ジグザグになっているためである。建材の測量ミスが原因で、このように造られた。しかし、見た目の脆弱さにもかかわらず、この高い土楼は700年間も自然の作用や社会的混乱に耐えてきた。裕昌楼の外側の環状土楼は直径36メートル、5階建てを誇り、各階に50部屋を有する。

地階にある25の台所は、半円部分にあり、個々のかまど近くには井戸が掘られている。こういった水の供給に便がよい土楼は、福建全体でも唯一である。

内側の環状土楼は1階建てで、2003年までは祖廟を囲んでいた。この部分は700年間無傷のままだったが、2003年以降、解体された[6]
二宜楼



二宜楼

二宜楼内部の構造

大地土楼群の二宜楼 Eryilou は、?州市華安県仙都鎮の大地村にある。1770年の建築で、外側の環状土楼は4階建て、内側は1階建てになっている。外側の土楼は直径71メートル、各階に48部屋を有する。二宜楼は、それぞれの階の前に環状の通路が存在せず、代わりに後ろ側の壁に隣接した通路を有する。外側の土楼の部屋は、垂直に分割されて別々の世帯の家となっており、共同階段ではなく個々の区分の中に自分たち専用の階段を持っている。いくつかの区分は正面の部屋3つ分、残りは4つ分の広さを持つ。内側の土楼の区分は、控えの間としての屋根つきベランダを通して外側の土楼の区分とつながっている。
建築集慶楼の内部

福建土楼は、中国の伝統的住居の「外に閉じ内に開く」概念に従って設計されている。つまり一般的に、中央に中庭を置き、居室の壁を周囲に巡らす。中央の前開きの小さな土楼は祖廟として、祖先崇拝、祭祀、会議、結婚式、葬式など公式の機能を果たす。地階の平面図には、円、半円、楕円、正方形、長方形、不規則な五角形がある。



円形土楼

方形土楼

楕円形土楼

五鳳楼

典型的土楼の石の基礎


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