ふくしま まいこ
福嶋 麻衣子
生誕 (1983-08-10) 1983年8月10日(40歳)
日本 東京都調布市[1]
国籍 日本
別名もふくちゃん
出身校東京芸術大学音楽学部卒業
職業プロデューサー
実業家
団体ディアステージ
活動拠点秋葉原
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福嶋 麻衣子(ふくしま まいこ、1983年8月10日[2][3] - )は、日本のアイドルプロデューサー[2]、音楽プロデューサー[4]、実業家[2]。でんぱ組.incのプロデューサーであり[2]、萌え系ライブ&バー「秋葉原ディアステージ」、アニソンDJバー「秋葉原MOGRA」を運営していた[2][5]。2017年現在、合同会社テキトーカンパニー代表社員[6]。別称は、もふくちゃん[2][5]。東京都出身[3][7]。 3歳からピアノを始め、ピアニストを志望して国立音楽大学附属音楽高校ピアノ科に入学しクラシックピアノを学ぶも[8]、ピアニストになる夢を諦める[2]。一方で、昔から家にあったパソコンなどの機材に親しんでおり、小学3年でBASICを学び、夏休みの自由研究でゲームを作った。中学の頃にはHTMLの作成支援サイトを作っていたり[1]、高校の頃にJavaScriptを組むアルバイトをしており、将来はプログラマーになりたいとも思っていた[9]。 また、中学2年の夏休みに1ヵ月半ほど単独でロンドンに行って美術館を見て回り、高校生の頃にもまた短期留学したロンドンでは、美術と音楽とファッションが密接に結び付く文化に触れる[10]。高校を卒業後、ピアノとは別の活路を見出す事を目的として芸術も勉強できる東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科に1期生として入学[8]。 大学ではノイズミュージック[5][8]やアートを探究した後、マイケル・ジャクソンやディズニーランドといった大衆が熱狂するコンテンツの力に関心を移す[2][5]。この経緯から「ポップカルチャーの歴史に残ることをやりたい」と決意[2][7]。また、自分で勉強してサーバを立てて自身のパフォーマンスプロジェクト「喪服の裾をからげ」でウェブ上の生配信を行っていた[8]。これをきっかけにもふくちゃんと呼ばれる様になる[8]。 また、電子楽器のパーツを自作するため「イケてるハンダごて」を買いに秋葉原を訪れた際、歩行者天国で出会った電波ソングに衝撃を受ける[1]。大学生の頃より徐々にオタクのコンテンツに熱中し、コミケや同人イベント「M3」や音楽の同人販売に行き始め[5]、音楽ではニコニコ動画で「巫女みこナース」などに感銘を受け、電波ソングやアニメソング、アイドルソングへの関心から秋葉原という街に興味を持つようになる[5]。また、メイド喫茶との出会いが大きいとしており、メイド喫茶を通じて秋葉原の様々な文化を学んだ[5][8]。 大学を卒業後、現代美術ギャラリーに就職。その後、出版業界でウェブの制作やグラビア雑誌、ファッション雑誌の編集を務める[11]。後に知人と「秋葉原でライブハウスをやりたい」という話になり、プロダクションを作ってアイドルのプロデュースをしたいという思いがあった事から飲食経験のある人達で店の基盤を作り、自身はアイドル、アーティストのコンテンツを加えていき[5]、株式会社モエ・ジャパンを創立し、代表取締役社長に就任[8]。 2007年12月、秋葉原にライブ&バー「秋葉原ディアステージ」を開店。客の反応がとても良く可能性を感じた事に加え、ディアステージで働いていた古川未鈴から「どうしてもアイドルユニットがやりたい」と何度も相談され[12]、古川と2人で相談しながら手探りででんぱ組(現:でんぱ組.inc)のプロデュースを手掛ける事になった。「勝負をかけるならここだな」と思い、企画書を片手に資金調達に奔走してビル一棟を借り切り[1]、2008年9月に店舗を移転させる[5][13]。同年12月にでんぱ組の1枚目のシングル「Mirror Magic?」をディアステージで発売[5][7]。同作品は200枚をプリンターで刷ってカッターで切って作るなど、完全な自主制作であった[7]。以後ディアステージを拠点とするでんぱ組の活動をプロデュースする[14]。 2010年にDJバー「秋葉原MOGRA」をディアステージ移転前の場所に開店[5]。2011年11月、トイズファクトリーと共同で音楽レーベル「MEME TOKYO」を立ち上げ[7]、クリエイティブディレクターに就任[3]。
略歴