福島県立磐城高等学校
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福島県立磐城高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度3分47.6秒 東経140度52分46.9秒 / 北緯37.063222度 東経140.879694度 / 37.063222; 140.879694座標: 北緯37度3分47.6秒 東経140度52分46.9秒 / 北緯37.063222度 東経140.879694度 / 37.063222; 140.879694
過去の名称福島県尋常中学校磐城分校
福島県第二尋常中学校
福島県第二中学校
福島県立磐城中学校
国公私立の別公立学校
設置者 福島県
学区いわき学区
設立年月日1896年5月5日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学校コードD107220460010
高校コード07151A
所在地970-8026
福島県いわき市平字高月7
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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福島県立磐城高等学校(ふくしまけんりつ いわきこうとうがっこう)は、福島県いわき市にある県立高等学校
概要

旧制磐城中学校を前身とする福島県の高等学校。通称は「磐高(いわこう、ばんこう)」。

男子校時代は磐城女子(現:磐城桜が丘)と並び、ステータスの高い学校として認識されていた。その為、浪人をしてまで入学を希望する生徒が多く、いわゆる「中学浪人」が問題となった[1]

2001年度より女子の受け入れを再開した。

2011年度、文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。

2018年度、福島県より、福島スーパー・イノベーション・ハイスクール(SIH)に指定された。
沿革

1895年 - 福島県尋常中学校磐城分校が認可される。

1896年5月5日 - 福島県尋常中学校磐城分校として開校。

1898年 - 福島県第二尋常中学校と改称。

1899年 - 福島県第二中学校と改称。

1901年 - 福島県立磐城中学校と改称。

1924年 - 平高月台に新校舎竣工。

1948年4月1日 - 学制改革により、福島県立磐城高等学校となる。普通科、併設中学校を設置。

1951年4月1日 - 男女共学開始、女子生徒5名入学。火災により本校舎全焼。

1952年 - 第二校舎竣工。

1953年 - 図書館竣工。

1954年 - 第一校舎、講堂竣工。

1955年 - 女子生徒の募集中止、再び男子校となる。

1958年 - 史学部発掘の埴輪が重要文化財に指定。

1970年 - 講堂火災により全焼。

1971年 - 第53回全国高等学校野球選手権大会準優勝。

1976年 - 同窓会館竣工。

1989年 - 講堂焼失。

1996年 - 創立100周年、「百年記念館」完成。

2001年4月1日 - 男女共学再開。

2007年 - 創立以来初めて新入生女子の生徒数が男子生徒数を上回る。 / 創立110周年記念館「ピークス110」完成。

校歌・校章・応援歌

『福島県立磐城高等学校校歌』 - 作詞:西村岸太郎、作曲:渡辺貞雄。全国的にも珍しい三拍子。

校章は、
の花に「磐」の文字を配したもの。

応援歌『磐城節』は旧制中学のバンカラ学生の心意気を謳っている。また、この『磐城節』は軍歌『報国節』が元歌であり、全国各地の大学が『◯大節』として応援歌として謳ったものの模倣である。目下近畿大学が『近大節』として著作権登録しており、全国の大学、高校で使用を自粛している。これを寂しく感じているOBは少なくない。

生徒会活動

生徒会は、毎年3月と9月に役員改選が行われる。選挙管理委員会の下、会長・副会長・書記・会計が選ばれ、1人の場合は信任投票を行うスタンダードなものである。また、部活動の部長は生徒会役員に立候補できない規定が2005年度生徒会役員選挙で問題となったが、翌年改正された。

生徒総会は毎年5月と10月に行われる。

部活動、委員会

28種の部活動と2種の同好会、8種の委員会がある。同好会から部活動、及び愛好会から同好会への昇格は、前述の生徒総会によって生徒の承認を得た後に、校長以下教員の判断で決まる。近年の例としては、茶道部が挙げられる。

運動部(15部)野球部、ソフトテニス部、バレーボール部、剣道部、バスケットボール部、山岳部、卓球部、テニス部、弓道部、ラグビー部、サッカー部、陸上部、水泳部、女子ソフトボール部

文化部(13部)文学部、吹奏楽部、史学部、美術部、自然科学部、写真部、演劇部、英語部、将棋部、合唱部、書道部、茶道部、応援団

同好会(2会)クイズ同好会、バドミントン同好会

委員会(8会)出版委員会、保健委員会、放送委員会、美化委員会、ボランティア委員会、図書委員会、防火委員会、選挙管理委員会

運動部では、多くの部活動が全国大会への出場を経験している。野球部は3回[注 1]7回甲子園に出場し、1971年の第53回全国高校野球大会(甲子園)では準優勝に輝いた実績を持つ。ラグビー部は、全国高等学校ラグビーフットボール大会に17回出場しているほか、福島県勢として唯一全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会への出場経験を持つ[3]。サッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会に5回出場しており、山岳部は、2003年、2004年と2年連続で全国高等学校総合体育大会の5位入賞を果たしている。

このほかにも、陸上部、剣道部、テニス部、水泳部が全国高等学校総合体育大会国民体育大会に出場している。2009年にはテニス部が28年ぶりに全国選抜高校テニス大会への出場を果たした。また、過去には、ウエイトリフティング部が、1968年のメキシコシティ五輪代表である木村岳夫(明治大学を経て安田生命に所属)を輩出しており、木村は同大会ライト級で7位に入賞した。

文化部においては、吹奏楽部の活動が顕著で、「“古豪”の磐城」と評される[4]。また、勉学との両立がモットーのなか、1日の練習時間が放課後の2時間と短時間に集中力と効率が求められるが、練習はほぼ生徒に任せていること[4]が特徴的である。1981年に初出場した全日本吹奏楽コンクールでは2001年以来、2004年、2008年、2012年の規定による不出場を除き、毎年全国大会に東北代表として出場し、1981年、2001年、2006年、2007年、2009年(県勢初の3回連続、東北の高校では27年ぶり3校目)、2015年に最高賞の金賞を受賞している。さらに、これまでの全国大会出場回数も、東北の高校としては2位タイの20回出場を誇る。また、1984年に初出場した全日本アンサンブルコンテストにおいても、2010年までに10回全国大会に出場しており、2001年、2009年と最高賞の金賞を受賞している。県勢初、東北の高校としては2校目の3年連続出場(2004年?2006年)を果たしている。音楽家としての道を選ぶ卒業生もおり、2003年度卒業生には黒金寛行[注 2]、多田将太郎[注 3]がいる。

このほかの文化部においても、将棋部囲碁班が全国高校囲碁選手権大会へ出場、写真部が全国高等学校総合文化祭へ参加、文学部が全国高等学校総合文化祭へ参加を始め、全国高等学校文芸コンクールで入賞、全国高校生文芸道場総合大会へ参加、委員会活動からは放送委員会がNHK杯全国高校放送コンテストで入賞など、各種競技会で実績を挙げている。


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