福島正信
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福島 正信(ふくしま まさのぶ、大永5年(1525年)? - 慶長2年3月25日1597年5月11日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての人物。正光とも。通称は市兵衛、与左衛門[1]。『武家盛衰記』では源頼綱の十一世の孫とする。正室は関氏(豊臣秀吉の叔母)。子に正則高晴、娘(別所重宗室)ら。
生涯

大永5年(1525年)、はじめ尾張国海東郡桶屋をしていたといわれる。

妻が豊臣秀吉の叔母にあたることから召し出されて、家臣として仕えた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加している。その後は大名となった長男・正則の保護を受けながら余生を送った。

慶長2年(1597年)に死去。戒名は冷照院清菴道泉。墓所は建仁寺永源庵にある。
家族

父:福島正秀


母:不明

妻:松雲院 - 関兼貞の娘

長女:別所重宗正室

次女:別所吉治

長男:正則

次男:高晴

三男:長則 - 福島正鎮の父

四男:正守


脚注^ 新井白石藩翰譜

関連項目

福島氏


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