福島テレビ株式会社
Fukushima Television Broadcasting Co., Ltd.
2018年竣工の現社屋
種類株式会社
略称FTV、福テレ
本社所在地 日本
〒960-8508
福島県福島市御山町2番5号
設立1962年(昭和37年)6月1日
業種情報・通信業
法人番号1380001001504
福島テレビ
英名Fukushima Television Broadcasting Co., Ltd.
放送対象地域福島県
ニュース系列FNN
番組供給系列FNS
略称FTV
愛称福テレ
呼出符号JOPX-DTV
呼出名称ふくしまテレビ デジタルテレビジョン
開局日1963年4月1日
本社〒960-8508
福島県福島市御山町2-5
演奏所本社と同じ
リモコンキーID8
デジタル親局福島(笹森山 (福島県)) 25ch
アナログ親局福島(笹森山 (福島県)) 11ch
ガイドチャンネル11ch
主なデジタル中継局
会津若松 18ch
いわき 21ch
ほか
主なアナログ中継局チャンネルの項を参照
公式サイトhttps://www.fukushima-tv.co.jp/
特記事項:
開局当初はオープンネット局だったが、1983年10月1日にFNN系列に一本化。2006年6月1日に地上デジタル放送を開始。
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福島テレビ株式会社(ふくしまテレビ、英: Fukushima Television Broadcasting Co., Ltd.、略称: FTV)は、福島県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。
愛称は福テレ(番組表などではFTV福島テレビと記載されている場合もある[3])。コールサインはJOPX-DTV(福島 25ch)で、フジテレビ系列(FNN・FNS)に属している。リモコンキーIDはキー局のフジテレビ・準キー局の関西テレビなどと同じ「8」。
民間放送事業者であるが、開局の経緯から福島県が株式の半分を保有している。 1962年(昭和37年)に県と地元新聞社などが出資、設立されたテレビ局であり、いわゆる第三セクターにあたる非独立局唯一の県域放送局でもある。 社長ポストも、初代は調停役の県から県職員出身の黒川久隆(元福島県出納長)が就任したほか、2代目から6代目まではすべて副知事を歴任した人物がいわゆる「天下り」で社長に就任してきた。元社長で相談役の中村啓治は産経新聞の出身者ではあるが、現在も県関係者や県議会議員などが取締役に就いている。なお、2007年(平成19年)から2016年(平成29年) まで社長を務めた糠沢修一(2016年6月から会長)は8代目にして初めての「生え抜き」社長であった。2016年6月に9代目社長に就任した森洋一も、初のフジテレビ出身者の社長となった。 略称「FTV」は現在のキー局でもあるフジテレビが「CX[注釈 3]」を使用する前、開局直後の数年間にわたり使用していた[注釈 4]。 福井テレビジョン放送は本局より後に開局したため、「FTV」を略称に用いることができず「FTB」を使用している[注釈 5]。台湾のテレビ局、民間全民電視公司が福島県を訪問した際、略称「FTV」が本局と同じだったことで話題となった。 2019年(平成31年)4月1日からは愛称に「福テレ」を制定した[4] 一方、1998年(平成10年)に制定された従来のロゴマークと略称ロゴは廃止されず、局名告知時に愛称とともに併記されているなど愛称制定後も継続して使用されている[注釈 6]。また、現社屋の壁面に掲げられた看板も「FTV」の略称ロゴでもある。制定当初の半年間は制作著作テロップや天気予報などのミニ番組の名に「FTV」「福島テレビ」の文字を残していたが、同年(令和元年)10月の改編時に全て「福テレ」に変更された。 在福テレビ局では、唯一の予報業務許可事業者に指定されている[注釈 7]。 福島県ではラジオ福島(RFC)が1957年(昭和32年)にテレビ予備免許(コールサインJOWR-TV)を取得するものの、1958年(昭和33年)に失効してしまった。実現していれば、1959年(昭和34年)頃にテレビ放送を開始する予定だった。全国的にラジオ単営局がテレビ放送も開始してラテ兼営局になる傾向(ひいてはTBS(JNN)系列か日本テレビ(NNN)系列への加入)があり、ラジオ福島も兼営局となるところであったが、増資などの折り合いが付かずにその道が閉ざされた。 次に同名ながら全くの別会社である「株式会社福島テレビ」が1960年(昭和35年)に予備免許を取得(コールサインも現在のFTVと同じJOPX-TV)したが、1961年(昭和36年)3月1日をもって免許が失効となり、開局できずに終わった[注釈 8]。 この度重なる開局延期劇の背景には、福島民報・福島民友という地元2大新聞間の確執やその背後にある〔民報-毎日新聞-TBS〕と〔民友-読売新聞-日本テレビ〕の関係、またこれらとは別の福島市対郡山市といった対立関係もあり、こうした福島県特有の事情のため調整が難航していたからである[注釈 9]。さらには県議会や県内の市町村議会が「民放テレビ局の早期開局促進」の決議を行うほどだった。この争いに終止符を打つべく福島県が自ら調整に乗り出して誕生した放送局が福島テレビであり、1962年(昭和37年)、県および県議会がテレビ免許割当に対する競願者の間に調停に入り、福島県が主導した上で福島テレビ株式会社(当社)を設立した。翌年1963年(昭和38年)4月に開局している。 当時、全国的に1県1局が通常で1967年(昭和42年)の「テレビ放送用周波数割当計画表」修正までUHF波の親局送信所使用が解禁されなかった事情があったとはいえ、広域圏の中核都府県を除く府県や隣県の電波の関係でVHF波のテレビ親局送信所設置が困難だった佐賀県(民放テレビ局第1局は1969年(昭和44年)開局のUHF局のサガテレビ)を除けば、民放テレビ第1局としては最後発での開局となった。
概要
開局までの経緯
沿革
1962年(昭和37年)
5月9日:予備免許交付。
6月1日:テレビ免許割当に対する競願者が多数出たため、県と県議会が調停に入って福島県が福島テレビ株式会社を設立する。
1963年(昭和38年)
3月25日:開局に先立ちサービス放送開始。
3月31日:福島県農協会館で開局披露式が行われた[7]。
4月1日:福島県初の民放テレビ局(当時はオープンネット)として午前10時に開局。最初の番組は「サロン・ミュージック」[7]。
開局時の中継局は会津若松と平(現在のいわき市)のみ。
7月1日:朝帯の放送開始(午前6時50分放送開始)[8]。
1965年(昭和40年)
11月25日:初のUHF中継局である白河中継局が開局[9](62ch 100w)。
1966年(昭和41年)
10月1日:カラーテレビ放送開始。
当初は、本社から直接カラー放送する設備が不十分で1週間に約5時間しか放送できないためキー局と同時ネットの番組(『ウルトラマン』『ジャングル大帝』など)に限られており、実際にはカラー作品ながら時差ネットで放送されていた『マグマ大使』などは白黒で放送されていた[10]。
1967年(昭和42年)
4月:カラー放送が週8時間に拡大[11]。
1970年(昭和45年)
3月27日:カラー中継車を導入[12]。
4月1日:福島中央テレビ(FCT)の開局に伴い、日本テレビ系列とTBS系列とのクロスネット局となる。
FTV放送会館
1971年(昭和46年)
2月12日:FTV放送会館竣工[13]。
10月1日:福島中央テレビ(FCT)とネットワーク交換。TBS系列とフジテレビ系列のクロスネット局となる。
1973年(昭和48年)
10月1日:『FTVテレポート』放送開始。
1974年(昭和49年)
9月1日:自動番組制御装置(APS)対応の主調整室(マスター)に更新(NEC製)[注釈 10]。
1980年(昭和55年)
12月1日:2インチVTR使用のCMバンクの稼動開始[14]。
1981年(昭和56年)
4月4日:『サタふく』の前身、『サタデーふくしま』がスタート。
6月14日:開局前の福島放送(KFB)含む福島県民放テレビ3局に音声多重放送実用化試験局の予備免許交付[15]
10月1日: 福島放送(KFB)の開局に伴い、テレビ朝日系の番組の一部が移行。
音声多重放送開始(音声多重放送実用化試験放送)。当時の福島県民放テレビ3局同時実施。
1983年(昭和58年)
開局20周年を機に「F」を基調としたCIマークを導入(デザイン・篠原榮太ほか)[注釈 11][16]。
4月1日:所属するニュースネットワークが、これまでのJNNから現在のFNNに変更。