凡例福岡孝茂
時代江戸時代後期 - 明治時代
生誕文政10年(1827年)
死没明治39年(1906年)12月25日
改名孝茂→麗水(号)
別名通称:宮内→健三
主君山内豊熈→豊惇→豊信
藩土佐藩
氏族福岡家
父母父:福岡孝察
福岡 孝茂(ふくおか たかしげ、文政10年(1827年) - 明治39年(1906年)12月25日)は、江戸時代後期の土佐藩重臣。福岡家10代当主。
略歴の子として高知城下本町に生まれた。福岡家は代々土佐藩家老職を務める家で、孝茂で10代目であり、3000石を領した。少壮の頃、鹿持雅澄に和漢の書を学ぶ。
13代藩主・山内豊熈を助け新政輔弼の功を挙げる。14代藩主・豊惇が幼少で死去し、豊信が藩主となるや、奉行として藩政を総轄する。部下に吉田東洋がいて十分手腕を振るわせた。文久2年(1862年)の東洋の横死後、藩人事に更迭があり、孝茂も一時免職となったが、重大政局に際し再び登用され、旧職に復帰した。
元治から慶応年間は藩兵を統轄して上京、清和院門を警護、維新後に引退する。
明治39年(1906年)12月25日死去、享年80。 福岡家は鹿持雅澄の『万葉集古義
逸話
出典
『高知県人名事典』高知市民図書館、1970 年。